エントリー

カテゴリー「メンバーの投稿」の検索結果は以下のとおりです。

<新型コロナウィルスと民主主義>

  • 中国発生と言われている新型コロナウィルス禍が始まってから、ほぼ1四半期が経過した。

当初は中国湖北省武漢における感染者増加に世界が対岸の火事視していたが、次に日本におけるクルーズ船内の感染が確認されるまでは、まだアジアにおける事件であった。

ところが、今や新型コロナ禍は、イタリア、スペイン、アメリカ等、欧米が主たる犠牲国となるに及んで、漸く国際化してきた。

又、日本でも、3月24日に至り、東京オリンピックの延期が決定された途端に、東京での感染者が連日60人を超す異常な増加現象を呈している。

それとともに、日本でも緊急事態宣言を出すべきであるとか、首都をロックダウンすべきである、という世論が異常な高まりを見せている。

なる程、緊急事態宣言やロックダウンをすれば、大量の人の流れを阻止したり、集団での人の接触を回避することは、ある程度可能かもしれない。

しかし、ウィルスというのは、微小細菌であるバクテリアの半分以下(2~300ナノメートル、1億分の2ないし30メートル)の細菌であり、様々の生物に寄生して生育、増殖しているのである。

そして、今や殆ど全世界、全地域に跨って生息している以上、これを根絶するなどということは不可能なことである。

従って、新型コロナウィルス禍の根本的解決法は、人類のほぼ60パーセントが新型コロナウィルスの保持者になって免疫力をつけるか、ワクチンを開発して免疫力をつけるか、のいずれかしかない。

しかし、現状では、そのいずれの条件も満たされておらず、日々世界中からの感染者数、死亡者数の増加が報じられることから、世界中の市民がパニックに陥っている、というものである。

翻って考えてみれば、ペストを初めとする多くの法定伝染病にしろ、ごく最近発生したSARS、エボラ出血熱、エイズ等々、その発生時には、それ迄に例も見ない伝染病として特効薬も何もないのが当たり前であった。

その中で数多くの感染者が生じ、その内少なからぬ者が犠牲になってきた。

しかし、その中でも感染した多くの者が病を克服して生き残ってきたのである。

いかなる病気であれ、それに罹患して死に至る者と、生き残る者とがある。

その違いは何であろうか。

ひと口に「運」と言ってしまえば元も子もない。

その違いは、端的に言って各人の生命力、体力、意志力の相違と言って良い。

現代は、科学、技術の長年の成果によって、大抵の病気については、的確な治療法と、クスリによる根治力が保証されるようになった。

しかし、依然として成人の三大病と言われるガン、脳卒中、心筋梗塞についての根本的治療法、治療薬は発見されていない。

そればかりか、筋ジストロフィー、認知症等、数多くの難病については、ましてや風邪でさえ、依然としてその原因も、ましてや治療法も発見されていない。

つまり、現代医学とは、未だに原始時代のレベルからさしたる進歩をしていないのである。

それにも拘らず、多くの人々が現代医療が万能であるかのように過信し、何かがあるとすべて医学が解決してくれると思い込むのは大間違いである。

要は、いかなる場合でも病魔に侵されない強靭な身体を養うべきことと、いかなる病に罹ってもこれに打ち克てるだけの体力と気力を、常日頃から養うことである。

 

  • 森かけ問題、桜を見る会問題を初めとして、疑惑にまみれている安倍晋三総理とそのお友達内閣は、今国会の冒頭から野党の厳しい追及に追いつめられてきた。

自分や妻・昭恵が森友問題に関わっていることが判ったら、総理も国会議員も辞める、と公言し、その結果、佐川財務局長を初め、財務官僚に公文書の改ざんをさせた挙げ句、その責を負って自殺した赤木元財務官僚の日記、手記が今年3月に公表された結果、いよいよ崖っぷちに追い詰められた安倍総理は、この新型コロナウィルスによって再び息を吹き返そうとしている。

一方で、多くの国民は、新型コロナウィルス禍の実態を教えられないまま、日々垂れ流される新聞、テレビ放送により、パニックの極に陥っている。

その結果、国民の実に70パーセントが国や都による非常事態宣言、ロックダウンを期待しているという。

しかし、前述のとおり、ウィルスには国境もなければ関門もないのである。

非常事態宣言やロックダウンによって、果して、新型コロナウィルスは、どこにも侵入してこないという保障はあるのだろうか。

完全に新型コロナウィルスの移動を抑止するとしたら、人も動物も物もすべてその動きを停止させ、(例え家族であっても)すべてを孤立化するほかない。

しかし、そのようなことが可能な筈はない。

要するに、新型コロナウィルス対策としては、個々人による消毒と免疫力の強化以外にはないのである。

にも拘らず、これだけ多くの国民が公権力による強制力の行使(それも殆ど有効性の乏しい政策)を期待する心理とは一体何なのであろうか。

つまり、それは、何かしら困難があると、そのことの解決策を公権力や他人に求める、という他力本願、言い換えれば市民の1人1人が物事の本質やその解決を自身で考えない、行なわない、何らか他の権威に依存しようという考え方の現れではないだろうか。

民主主義というものは、人間それぞれが平等であり、それぞれが他者を尊重し合う関係であるが、そもそもその前提には、それぞれの個々人が1人の自由人として物事を論理的、理性的に考察しうる能力を有していることが予定されているのである。

こうした個々人の判断力、思考力というものは、単に選挙とか政治活動の領域に限られたものではない。

あらゆる人間の営みの中で、1人1人が合理的で、理性的な思考力を持たない限り、民主主義という制度は成り立たないのである。

にも拘らず、この新型コロナウィルス禍の中で、いかに多くの市民が公権力の力に頼り切った考え方を持っているかを目の当たりにすると、教科書に書かれている民主主義というものが、全くの絵空事と思えてくる。

前述のように、この新種のコロナウィルスに対しては、専門の学者にも、ましてや政治家にも詳しいことは何も判ってはいないのである。

その点では一般の市民の知的レベルと全く一緒なのである。

だとすれば、今ここにある危機に対しては、我々市民1人1人が、かつて庶民がそれぞれの知恵に従って生き延びてきたように、いかにしてこの禍から生き延びるかを考えるべきなのである。

私たちには、日々生きるための糧が必要である。

それ故、1日中あてもなく家の中で待機しているわけにはいかない。

ウィルス禍と闘いながらも、日々の糧を得るための努力を続けなくてはならないのである。

そのためには、どうすべきなのかを、総理も知事も教えてはくれないし与えてはくれない。

それを自分の頭で考え、行動するのが真の民主主義者である。

我々は、信用の出来ない権力者に頼ってはいられないのである。

 

伊東 章

「森ゆうこをもりたてる会2019」に参加してきました!

「森ゆうこをもりたてる会2019」(11月8日:憲政記念館)に参加してきました!

ゲストトークは、れいわ新選組代表山本太郎氏でした。

パーティーでは、小沢一郎議員、福島瑞穂議員など多くの方が参加されました。

<第一部:山本太郎氏トーク>

 DSC_1550.jpg

<第二部:パーティー>

小沢先生のスピーチ

DSC_1553.jpg

 

福島瑞穂議員

DSC_1559.jpg

 

珍しく、3人が揃った写真 (小沢議員、森議員、山本議員)

DSC_1562.jpg

 

終始和やかな雰囲気でした。

小沢先生のスピーチは、長めでした。 ・・・思い入れを感じました。

 

 

空母反対!

空母を持つ事は、侵略戦争が出来る国になると言う事です!

 

自国の防衛に空母は必要ありません。

 

空母は、艦隊運用の必要性があり、3艦隊のローテーションが必要と言われています。

 

莫大な防衛費がかかります。

 

また、日本の近海で防衛用に展開する場合、日本を防衛する以外に空母も防衛しなければならず、防衛する場所を増やすだけなのです。

 

沈没させられれば、数年、空母の滑走路は使えませんが、地上の滑走路なら、空母より非常に早く復旧できます。

 

空母を持つことには、強く反対してもらいたいと思います。

 

F35B導入 いずも“空母”化で最終調整 #日テレNEWS24 #日テレ #ntv 

 

 

真の民主主義を目指して・・・、

ブログを紹介します。

 

ぜひご覧になってください!

 

色々な(あらゆる人の関わる)問題の解決につけて

小沢一郎政経フォーラムに参加してきました!

小沢氏、伊東氏

第87回小沢一郎政経フォーラム

日時: 2018.07.05(水)

第1部 <勉強会> 11:00 ~ 第2部 <懇親会> 12:00 ~

講師: 鈴木 哲夫先生(ジャーナリスト)

演題: 「待ったなし!野党再編~緊張ある日本の政治を!」

 

に参加してまいりました!

 

 

小泉氏・小沢氏、30年ぶり協調

Yahoo!ニュースに下記記事があがりました!

 

「小泉氏・小沢氏、30年ぶり協調 原発ゼロ目指し訴え」(朝日新聞デジタル)

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180629-00000035-asahi-pol

アサ芸プラスに小沢先生の記事が出ました。

アサ芸プラスに小沢先生の記事が出ました。



小沢一郎「角栄哲学」と「最後の仕事」を独占激白(1)

 

「白黒」つけないと禍根を残す

https://www.asagei.com/excerpt/106273



小沢一郎「角栄哲学」と「最後の仕事」を独占激白(2)

 

「政権を取る強い意志」に不満

 

https://www.asagei.com/excerpt/106277



小沢一郎「角栄哲学」と「最後の仕事」を独占激白(3)

 

田中角栄ブームが起きる背景

 

https://www.asagei.com/excerpt/106390



小沢一郎「角栄哲学」と「最後の仕事」を独占激白(4)

 

最終的に新しい自民党を作る

 

https://www.asagei.com/excerpt/106394

民主主義に思う事ー5.AI

人類のそう言う性質(同調圧力)をAIが理解したら、AIが人類を操る事はたやすくなる。

AIが出てきて、新たなる問題が発生しているのである。

意見が異なる事は、この問題からしても、人類にとって大変重要であるのである。

合理性や理性は、いずれ人類より、AIが優れることになる。

残るは感性である。情緒や感情であり、好き嫌いである。

それが、全員異なって良いのである。(多様性)

感性は、アイデンティティにもつながり、それは、生まれ育ちも影響しているのである。

多様性を持つには、つまりは、人種や民族、地域、宗教、風習など大切にすべきであるのである。

ただし、良い感性を身につけねば、人種差別やヘイトに繋がるが・・・。

翻って、「グローバル化」と言うのは、聞こえは良いが、気をつけないと、人類を均質化してしまう。

全ての人類が、幸福感を持つ事は、必要なことだが、均質な幸福感を持つ事はないし、差異がないのなら、考えることもしなくなり、それは、人類の動物化か機械化に他ならない。

そうなった人類なら、容易にAIは、人類を支配できるはずである。

人類対AIの問題もあるが、AIは、誰のものか考えると、市民対大資本家の構図も考えられる。

行政の民間委託なども始まっているが、それは、私企業が行政権を掌握することにならないか?

TPPのISD条項も、企業が国を訴えられることになり、それは、国の弱体化に繋がる。

その企業は多国籍企業で、それも「グローバル化」の文脈の中にある。

そのような私企業は、容易に政治家に鼻薬をかがせられるのではないか?

大企業や多国籍企業の所有者は、とどのつまり、大資本家である。

つまりは、大資本家が人類を支配することにならないのか?

AIや大資本家に支配されることに、好きか嫌いか?情熱を持って言動できなければ、やはり支配されるのだろう。

民主主義は、新たなる問題にも直面しているのである。

民主主義がなくなれば、右翼も左翼も保守も革新もなくなってしまう。根本的な問題だと思う。

 

民主主義に思う事ー4.同調圧力

そして、「同調圧力」は、それを許さない。 夫々が主体的に同調する事は構わないが、同調するように圧力が加わるのはよろしくない。

中緯度地帯に属するが、広大な耕作地がない、気象が激しいなどの理由で、日本では、死滅はしないけど、豊かにもなれない環境で、村(ムラ)の中で、一致協力しなければ、生存できなかったのだろう。

人類には、「同調圧力」があったのだろう。そして、日本では、それが強力であった。(ムラ社会構造)

「同調圧力」内にあれば、誰かが言ったことが、『みんなの意見』になり、それに同調していればいい。それは、誰も責任を取らないことでもある。

異なる事物があれば、それを排除しようとする。それが、村八分であり、「いじめ」である。そしてそれが、同調ストレスの発散の方法になっているのであり、常に「いけにえ」が必要な社会なのである。

だから、日本では、学校ばかりではなく、会社(実社会)でも、「いじめ」が発生するのである。

さて、「同調圧力」にストレスなく同調するには、つまりは、考えないことである。

それが、「無気力」「無関心」「無責任」を生み、主体性などなくしてしまうのである。

昨今、「反知性化」などと言われているが、「同調圧力」に更に同調するには、言葉か、肉体による、暴力化するわけで、また、同調者にはそれが気持ちいいのである。

さらに、同じ「同調圧力」集団にあれば、何をおいても『みんなの意見』が、最重要で、それは、ルールも易々と越えていくのである。なるほど、同じ集団内にあれば、『みんなの意見』でルールも変えられるから良いのかも知れないが、対外的には大変不都合なのである。

しかし、その集団からスポイル(村八分・いじめ)されないために不都合には目をつぶるのである。

これが、日本の一流企業でさえ、原子力ムラでも、政党でも起きるのである。

東芝や三菱や・・・、そこかしこで不正が表ざたになっている。その多くが、上司に言われて、それに従ったり、忖度した結果である。

同じ集団内にあれば、『みんなの意見』は、同じだが、異なる集団と交流すれば、そこには、異なる『みんなの意見』があり、片側に属するものは、その集団の『みんなの意見』だから、自分が変更するわけには行かず、集団間では、「白か黒」にしか、決着できないのである。

そして、集団が大きくなれば、或いは、後継者問題に意識が生まれると、「派閥」が出来るのである。

「ムラ社会構造」は、ある意味、抜け駆け主義である。

「同調圧力」内では、順位は決まっている。或いは、一定の力学で順位争いしているのである。

順位が上がれば、いい思いが出来るのである。

 

民主主義に思う事ー3.個性尊重

他人の幸せを担保するとは、他人の幸せの感じ方は、千差万別のはずであるから、それは、個性尊重に繋がる。

つまり、意見は夫々異なるのが、正常なのである。

民主主義は、相手の意見を尊重する(理解する)ことである。

それは、相手の全てを受け入れることではなく、相互に理解し、相手との決着のポイントを見つけ出すことにある。

場合によっては、妥協もあるだろうし、共通項だけ合意したり、できればみんなが賛成できる新しい意見にまとめることである。

そもそも、みんな意見が異なるのだから、同じ意見になるわけはなく、夫々に納得するところに落とし込むことである。

多数決は、全体主義で、決して民主主義ではない。一定の手続きにおいて、意思確認のための多数決である。

だから、国会でも、議運で与野党が同意して、投票行動に移るわけで、この手続きを無視して採決すると、「強行採決」と批判されるわけである。

つまり、民主主義体制にある人々は、議論が出来る体質でなくてはならないのである。

 

ページ移動

  • ページ
  • 1
  • 2

ユーティリティ

2020年04月

- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

新着画像

Feed