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国家に対する幻想を捨てよ

<国家に対する幻想を捨てよ> 

1、「国家とは、支配階級が被支配階級を抑圧するための機関である」というマルクス主義の定義によっても、国家が国民に一定の義務を強制する見返りとして、国家が国民の生命と権利、財産を守る義務を有することは否定できないところです。

その場合、民主主義を標榜する国家では、そもそも国家は国民の意思に従ってその存在を認められ、国民の意思を体現する限りにおいてその存在を認められる、という関係にあります。

国民の義務といわれる納税の義務、兵役の義務なども、すべて国家が国民の意思を体現するという前提の下に、最終的には国民の生命、財産、権利を守るための手段として国民に貸される義務なのです。

間違っても、国民から離れ、国民に敵対するものとしての国家のために、国民の国家に対する義務が存在するものではないのです。

2、それでは、現在存在する、日本を含めた世界の国家の在り方とは一体どのようなものなのでしょうか。

中国や中東地域、アフリカ等、未だ民主主義が成熟していない国々の国家は言うに及ばず、一応は「民主主義国家」と言われているアメリカ、ヨーロッパ、日本等においても、国家が国民の意思を真に体現しており、国家が主権者である国民の平和と豊かな生活のための道具となっている国家というものは皆無です。

多くの「民主主義国家」というものが、一部(国民の数パーセント)の特権階級の利益のために機能し、それら特権階級の特権擁護のために権力を行使する一方で、国の多数を占める国民のためには、国家として有する財力、権力を行使するどころか、逆にこれら大多数の弱者である国民の正当な権利行使を抑圧するために行使されているというのが実情です。

国家というものが、決して国民の生命、財産を守るものではなく、むしろ、その逆である、ということは、数次にわたって経験した大規模な戦争によっても明らかです。

しかし、そのような大規模な戦争以外にも、私達は日々国家というものの真の姿を見せられています。

3、現在、世界はコロナ禍に襲われ、殆どの国が大なり小なり、危機に曝されています。

そして、その対応は千差万別ですが、少なくとも国が、国民の生命、生活を最優先して擁護しているところは、一つとして存在しません。

そもそも国家というのは、国民あってのものであるにも拘らず、国民の生命、生活を最優先してコロナ対策に当っている国家というものは一つもありません。

すべての国が、国としての存立、即ち国の経済、大企業の発展、成長ということを第一次に考え、国民の生命、生活というものは、国を支える経済の担い手、富の源泉としての存在意義と持ったものとしてのみ、これを保護、擁護しているに過ぎないのです。

オリンピックを強行するために、コロナ感染の実態を隠蔽し、その対策を遅らせたり、国民に対する経済補償を出来る限り削減するために、未だ感染が収束しないのに、緊急事態宣言を解除するなど、国家が真に国民の生命、生活を守る意思を持っているとは思えません。

4、最近、北朝鮮による拉致被害者の会の代表者である横田滋氏が亡くなりました。

彼らは、拉致家族の救出を公約に掲げた安倍政権を信頼し、8年もの間安倍政権の言いなりになった結果、何ら得るところなく年老いていったのです。

日本が北朝鮮に比べて遥かに平和で住み心地の良い国であるかどうかについても多くの疑いがありますが、それでも長年生まれ育った故国から、突然外国の勢力によってわけもなく拉致され他国に隔離されることは、大きな不幸です。

このような犠牲となった国民を救出すべきことは、国民すべての生命、財産を守るべき責務を負う国家としての最低限の義務です。

かつて日本赤軍によってハイジャックされた「よど号」事件で、自民党の山村新治郎議員が身代わりとなって北朝鮮に飛び、人質全員を解放したことがありました。

これが、国家権力を与る者のなすべきことです。

しかし、安倍総理とその閣僚は、北朝鮮拉致事件において一体何をしたと言うのでしょうか。

口先では拉致被害者を取り戻す、と言いながらも、せいぜい、アメリカ大統領の尻を追いかけ、アメリカの圧力又は対話路線に乗っかって、漁夫の利を得ようと図ってきただけです。

そのためには、国の莫大な予算をつぎ込んで、使いものにならないオスプレイ、イージス・アショアなどの兵器を買わされ続けているに過ぎません。

結局のところ、拉致被害者の家族は、安倍政権のヤルヤル詐欺のコマーシャル塔として利用されていただけなのです。

5、安倍とその政権が執拗に旗振りをしている憲法「改正」も全く同じです。

憲法とか法律とかいうものが、国家権力や権力を行使するものの恣意的な権力行使を抑圧するために存在するものである、という極く基礎的な理解も無しに、ただただ国家権力と権力行使者の力をより増大化し、逆に国民の生活、権利を更に抑圧しようというのが、憲法「改正」の実態なのです。

戦前、日本人は、天皇の国家権力は、天皇が国、国民の父であり、家長であって、その天皇は家族である国民を愛し、慈しみ、その生命、生活を保障するものである、従って国民は黙って天皇(父)の命令に従っていれば幸福を保障される、と教えられました。

その結果、国民は戦争の惨禍に見舞われ、国は滅びました。

今、安倍とその内閣が目指していることは、その再現なのです。

私達は、そろそろ、国家に対する幻想を捨て、国家と国民との関係を正しく見直すべきです。

そして国家権力を国民の行使するものに変えるべきです。

 

伊東 章

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