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世話人より

「もう一度会の原点を思い起そう」( 日本の危機に直面して)
世話人 代表 伊東章

 前世話人山崎康彦氏から、当会に対する記事が掲載され少なからぬ会員の方が途惑っておられるようなので、簡単に当会の立場をご説明しておきます。
 当会の設立目的は、会の設立趣意書あるいはその後数回にわたるシンポジウムにおける代表挨拶の中でも繰り返し表明されているとおりです。
一言で言えば、平成21 年8 月30 日の衆議院議員 選挙において小沢一郎幹事長率いる民
主党が掲げた「国民の生活が第一」というスローガンを支持した圧倒的多数の国民によって、民主党が戦後初の選挙による政権交代を果したこと、それに対して旧勢力(アメリカ、自民党、財界、マスメディア、官僚) が民主党政権潰しのため、政治資金規正法違反という事件
を捏造し、小沢一郎幹事長攻撃を展開したことに対して、これが日本の民主主義への挑戦である、として私達が小沢一郎議員を支援する運動を通して、日本の民主主義を守ろう、ということでした。
 つまり、小沢一郎議員を標的とした攻撃というものが、日本の民主主義体制の破壊であるとの認識の下に、小沢一郎議員を支援することが、即ち日本の民主主義を守ることになる、との発想から、この運動は生まれたのです。
 従って、当初から当会は、世話人初め多くの参加者の中には、必ずしも小沢一郎議員を支持はしないが、小沢一郎攻撃は酷すぎるからと言って参加された方も少なからずいるのです。
 もし、仮に、今の政権が、野党の党首である谷垣禎一氏に対して同じように民主主義に反する不当な攻撃をするとしたら、私達は(谷垣氏の主張が正当だと判断すれば)「谷垣禎一議員を支援する会」を作ったでしょう。
このように、当会の設立の目的は、あくまでも日本の民 主主義を破壊しようとする者に対して、その都度鋭敏な感覚をもって対抗してゆくということなのです。
 小沢一郎議員個人を崇拝したり、小沢一郎議員を総理大臣にすることが目的なのではありません。
 もちろん、会の設立経過、会の名称などから、私達の運動が結果的に小沢一郎議員の評価を上げ、彼に対する国民の支持を広げていることは確かだと思います。
 そのことは、言うまでもなく小沢一郎議員という1 人の政治家の力量、能力というものが正しく国民に評価されてきた結果です。
 そして、そのことについて私達の運動が少なからぬ貢献していることも又間違ってはいないと思います。
 そのことは、裏を返せば、私達の運動が、官僚やマスメディアの歪んだ報道によって曇らされていた国民の眼を、幾分でも覚醒できた結果だと思います。
 私達の運動は、そのように、これまでのメディアや官僚の歪んだ情報操作によって、正しく現実を捉えることができなくされてきた国民に対して、少しでも、その曇りを晴らし正しいものの見方が出来るようにすることを目的としていると言っても過言ではありません。
 そこにこそ民主主義の原点があるのです。
 私達の運動の積み重ねによって、本年2 月24 日には検察審査会の疑惑を解明する市民と国会議員の連帯の場が生まれ、いよいよ小沢一郎議員を攻撃する検察特捜部、検察審査会に対する国民の反撃が開始されようとした矢先に3月11 日の不幸な大災害が発生しました。
その後の災害対策をめぐって、いよいよ菅内閣の無能さ、有害さが際立ってくる中で、小沢一郎総理待望論が沸き起っていることも事実です。
 もちろん、私達は、そのような期待を持つことを否定するものではありません。
 しかし、そのことと、当会の目的を「小沢一郎議員を総理にすること」とすることは全く次元の違う話です。
仮にもし、そのような条件が有るとすれば、それは小沢一郎議員がそのことを判断することであり、政治的権力も何もない私達が外からとやかく言うべきことでもないと思います。
 私達に出来ることやるべきことは、ただ優れた政治家、国と国民のことを第一に考える政治家が、真に国家のリーダーとなれるような環境、条件を作り出すことではないでしょうか。

 大震災の報道の陰に隠されていますが、今でも大久保、石川、池田ら元秘書に対する不当な裁判は続けられています。
 又、小沢一郎議員に対する裁判もまだ第1 回公判期日が決らない状態です。
 そうしたことに対して、私達としてはまだまだやらなくてはならないことが山程有ります。
 突然の大震災の突発によって、すべての目は東北に向けられ、その中で「菅降ろし」「小沢総理実現」という掛け声だけが膨らんでいるのは、ある意味では危険なことだと思います。
 確かに大震災の復興という大きな課題はあるものの、それとは別に政治は動いています。
 未曾有の大震災によって、誰も彼もが浮き足立っているように見えますが、私達としては、そのような時こそ、落ち着いて冷静に私達の運動の原点に立ち戻って地道な活動を続けるべ
きではないでしょうか。
 山崎氏については、自分の政治理念と当会の目的とが一致しないという理由で、自ら「脱会」を宣言して会を離れたものです。
 当会で「除名」したとか、脱会するように仕向けた、などということは全くありません。
 氏が、ご自分の信念と方法によって独自の運動を進められることを私達は妨害も非難もしません。
しかし、氏が、いかにも自分が被害者であるように装い、当会や当会の世話人を誹謗、中傷することはすべきではないと考えます。
 そうした活動が結局のところ、小沢一郎議員を支援する運動の大きな妨げとなるということを理解して頂きたいと思います。
 当会としては前述のとおり、様々の意見、考え方を持つ人々が自由に意見を述べ合うことを保証しています。
従って本来、よほどのことがない限り「脱会」をすることは考えられないのです。
 それにも拘らず、氏が、敢えて「脱会」したということは、格別の理由があったのでしょうか。
 政権交代の立役者である小沢一郎議員を政界からパージする動きの中で、日本の政治は、自民党政権時代にさえ予測しなかったような危険な状況に陥っています。
 未曾有の大震災と原発事故が、そのことに一層拍車をかけているのです。
 私達は、今こそ本義に立ち還り、危機にある日本の民主主義を守るために、些細な考え方の違いを乗り越えて国民的な努力を傾注すべきであると考えます。
 引き続き会員諸兄の力強いご支援を心からお願いするものです。
以上

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よくあることと笑って済ませたいところだが…
世話人 三上治

 「会の内紛とか、もめ事とか」はよくあることです。どこでも見かけるものです。山崎さんの脱会劇もそのように見えるものでしよう。形通りの論戦があってということになれば尚更のことです。こういう事は嫌なのですが、山崎さんが脱会したことは事実であるし、山崎さんの世話人に対する批判も出ているので僕も簡単な経緯と所感を述べておきます。
 事の成り行きを改めて説明する必要はないのですが、世話人の会議の席で山崎氏が「小沢一郎を首相にする事を打ち出した活動を今やるべきである」と言いだし、そりゃ唐突過ぎると他の会員が反対したら失望したと言って脱会したのがことの真相です。ここで山崎さんは「小沢一郎議員を支援する会」の他の世話人が「小沢議員を支援」することに反対し、その気がないことに失望して辞めたと言っていますが間違いです。彼は「菅内閣を打倒し今すぐに小沢一郎を首相にする活動をすべきだと」主張したのです。
 他の世話人は、菅内閣打倒はいいが「今、小沢一郎を首相にする活動」ということに反対したのです。
 理由は二つあります。
「小沢一郎議員を支援する会」の世話人は小沢一郎への政治的弾圧や政治的排除に反対するということを最低限のこととして一致して集まったのであり、それ以上はそれぞれの世話人の考えであるということにしてきました。小沢一郎を支援すると言っても「小沢一郎を首相にすること」を会の目標にしてきたわけではないのです。その点については世話人の考えは様々であり、自由です。この会の先に記した意味での小沢一郎の支援という点で一致できればいいのでそれ以上を求めてはきませんでしたし、これで良いのだとしてきました。こんなのは消極的であると言う人がいるかもしれませんが、これは世話人の一致点であり大事にしてきたところです。山崎さんがこれに失望し飽き足らなくなったにしても致し方のないところです。
 これは第二の理由ですが、この会が小沢一郎を首相にすることを目標にしてきたのではないが、彼が首相を目指すことに反対してはいません。僕個人はそうです。彼の政治活動の必然としてそういう時期が来たと判断すれば会はそれを検討するでしよう。小沢一郎の政治活動を支援することの内容として、本人の意向や政治動向など検討してやるつもりです。主観的な願望や思いこみでそうすることはいたしません。山崎さんがそれを今やるべきだというのは根拠がどこから出てきたのか不明ですが、唐突過ぎるように思いました。こういうのは「ひいきの引き倒し」みたいなことだと思います。山崎さんがそういう時期や局面にあると判断するのは自由であり、それを掲げて活動するのは自由です。しかし、会の当面の活動方針としてそういう主張をとらないというのも当然の判断だと思います。
 例をあげましよう。「森ゆうこ議員を知事選に」という主張を山崎さんはしていましたが、これを僕は唐突に思いました。彼女の議席を失うこと(彼女の政治活動のマイナスになること)や当選の可能性など検討すればどういう考えで主張しているのか不思議でした。これを会の活動としてやってくれと言えば僕らは反対したでしよう。これは森ゆうこさんの政治活動支援に反対のためではないのです。今、こういう主張が彼女の政治活動支援になるとは思えないから反対したのです。誰の政治活動の支援だって何が支援になるのか不断に検討するのは当たり前です。思いこみや主観でことを進めようとしないのは当然です。今回の主張も同じことです。思いつきとは言わないが政治判断として雑過ぎるのです。
 以上はことの経緯です。所感を述べさせて貰えば、彼は世話人になってよくやってくれたと思います。検察審査会の調査やネットメディアでの活動などでは特にそうだと思います。その点については感謝してきました。彼は「9 条改憲阻止の会」の時から知っていたのですが、トラブルメーカーのようなところがあって気になっていました。活動グループの先々でトラブルを引き起こすのです。今回もそうなってしまったのは残念です。時には自分の活動癖のようなものを反省して見てもいいのではないか(?)余計なお世話ではないと思います。

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「思い違い」
世話人 広部敏政

 山崎康彦さんに失望を与えた、数ヶ月で後期高齢者になる世話人の一人です。
 支援する会は、もともと老人のたわごとから、検察や裁判所に対する目に余る動きに対する義憤から始まった。何回かの学習をするうちに判ったことは、特に検察審査会のデタラメ、小沢一郎議員の排除の奥深い理由等である。
 従って山崎さんが求めるようなそんな大それた事を考えたり行動したりする程立派な人が世話人になっている訳ではありません。その事はこの一年間一緒に活動していたことから判断出来ると思います。
「支援する会」ですから結果的に小沢一郎議員が総理になることを望んで当たり前です。しかし、この会はその目的のために活動することは当初から確認していません。勿論山崎さんが個人でその為に行動することに何等異議がありません。
 それを急に「小沢一郎議員を総理に」をスローガンに掲げて集会を開けとは無理な話です。
次回のシンポジウムの持ち方を論議した際、山崎さんからは、『共催予定の「日本一新の会」からは、余り政局にからめないようなテーマを希望する』という意向を我々に伝えているのです。それなのに敢えて「小沢一郎議員を総理に」というスローガンに拘るのはどうにも不可解です。
 どうぞ山崎さん、そんなに政治活動を希望するなら、民主党に入るなり政治団体を作るなりして宣伝カーでも仕立てて有楽町駅前で是非「今こそ小沢一郎さんを総理に」と演説して下さい。その勇姿を是非見たいです。
 脱会は自由ですが、先ずは伊東代表に理由を伝え又、この一年間世話になった伊東事務所の女性職員に対し、あいさつするのが礼ではないかな。
 老人の忠告は冬の太陽、光があっても熱がない( ヴォーヴナルグ) と言われますのでこれでやめます。
 今後の御健闘を祈ります。

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山崎康彦君が何故に我が会を脱会したか、その真相を語る。
世話人 窄頭正春

 先月、4月23日午後5時から「小沢一郎議員を支援する会」事務所で世話人会を開催しました。出席者は、伊東代表・広部・正清・味岡( 三上)・窄頭・山崎の6名でした。
 世話人会で確認する事項は、次回のシンポジウムの準備です。
① この間、会が行ってきたテーマは小沢一郎氏に対する「魔女狩り」的な検察・マスメディア・検察審査会のあり方に警告を発し「日本に真の民主主義を確立する」ことでした。次回は、3月11日発生した東日本大震災・福島原発事故を取り上げ「大地震と原発大事故により存亡の危機に立つこの國をどのように救うのか」のスローガンでこれまで通り「日本一新の会」・その他の団体と共催し開催する。日本一新の会との連絡は伊東代表が担当する。コメンテーターには、森ゆうこ・川内博史氏に協力を願う。原発問題のコメンテーターは、福島の双葉町で永年に亘り反対運動をつづけておられる「石丸小四郎氏」にお願いすることにしました。(次回シンポジウムは6月16日(木)午後6時・文京区民センター)
② 会で集めた大震災の義捐金の届け先を何処にするかでした。(4 月末現在で519,000 円、27 名の方から振込がありました) 早急に小沢事務所と連絡を取り、振り込むことにしました。
 全ての懸案事項を確認し、いつもの通りこれから食事でもと、散会を宣しようとしたとき山崎君から唐突に「この会は小沢一郎を総理大臣にする会に切り替えるべきだ。今、小沢一郎を総理大臣に担がなければ時期を逸する」と発言がありました。世話人一同唖然とし(伊東代表は、来客中でこの時は中座していた)山崎君は世話人の皆から総反撃を喰う羽目に陥りました。
 そのことが気に喰わなかったのか「皆とは、趣旨にあわない。脱会する」の捨て台詞を残して事務所を出て行ったのが真相です。
 問題点を整理しますと、
① 昨年5月8日に結成した時の趣旨で述べている通り小沢一郎を総理大臣に担ぐための後援会ではありません。
② 趣旨に反すると発言していますが彼は、会の出発点、準備段階から参画していたわけではありません。(9月から正清世話人の紹介で一員に迎える)
③ 彼とは、一年近く一緒に行動してきたわけですが、私は彼より年長でもありましたから、人を批判する場合クレグレモ「誹謗中傷・著しく名誉を傷つける文語を残さないよう」注意を促してきましたが、結果として実を結ばなかったわけです。
 4月27日の山崎君のブログを見て、対応を世話人5名で相談しました。「反論すべきだ」「泥仕合みたいなことを遣り合っても不毛だから、無視すべきだ」との二つに意見がありましたが一度だけ、世話人全員で反論することにしました。
 山崎君が以後、何を主張されようが一切応じるつもりはありません。

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サンタ 2011年05月10日(火)10時55分

「杉並からの情報発信」で「会」を知りました。植草さんのリンクで「会」は見ていましたが読んだことはありませんでした。会に寄り添い方、退出もまた入りたい方はどなたも包容していいのではありませんか。
読むというより眺めただけですが。
>世話人全員で反論することにしました。
 山崎君が以後、何を主張されようが一切応じるつもりはありません。

この言葉に一度だけコメントしたくなりました。
ご多幸をお祈りします。

ICHIKAZEROKA 2011年05月10日(火)23時20分

その場に居合わせたわけではないので、どちらの言い分が正しいのか、あるいはどのような感情的な軋轢があったのか私にはわかりません。しかし、現世話人の方々の文章を読んでいると、小沢一郎さんが検察権力により不当な扱いを受けたから、その検察権力に対して抗議しているのであって、政治家としての小沢一郎さんを支援しているわけではないと言われているような気がします。一見理路整然とした話のようですが、では、なぜ小沢一郎さんが検察権力から狙われたのでしょうか。それはまさに、先の総選挙で民主党が勝利を収め、その党首である小沢一郎が日本国総理大臣になることが現実味をおびてきたからではないですか? つまり、この国に本当の民主主義が機能していたならば、小沢一郎さんが内閣総理大臣になっていたわけです。伊東先生は、谷垣禎一氏に対して同じように民主主義に反する不当な攻撃をするとしたら、私達は(谷垣氏の主張が正当だと判断すれば)「谷垣禎一議員を支援する会」をつくったでしょうと書かれていますが、状況も環境もまったく違う話です。
検察権力とは、検察単体をさすものではないことは充分ご存知のはずです。当然、ときの政府ともつながっているわけですし、官僚体制そのものでもあるわけです。さらにいえば、この国を実質的に支配しているもっと大きな権力も含まれます。つまり、首相になる立場にあった小沢一郎さんを、検察権力というひとつのツールを使って抹殺しようとしたのが今回の事件であり、「小沢一郎を支援する」とは、そういうものの総和としての検察権力に対して抗議し戦い、その被害者である小沢一郎さんを本来の姿、在り得べき姿に戻すということではないでしょうか? それがこの国の民主主義を機能させると言うことになるのではないでしょうか。したがって、仮に同じ状況に置かれたとして自由民主党にずっといた谷垣禎一氏を支援することとは全く別物です。世話人の方々が何といおうと、少なくとも、支援する会のシンポジウムに集まってきた会員のほとんどの方はそういく気持ちでいるはずです。その証拠に、小沢さんがビデオメッセージで出演された11月24日には500人という、いままでにはあり得なかった多くの方々が参集したのです。
次回のテーマが「大地震と原発大事故により存亡の危機に立つこの國をどのように救うのか」ということだそうですが、これこそが政治家の仕事であり、国民として(あるいは支援する会の会員として)このテーマにコミットできるとしたら、そのためのリーダーとなる政治家を推すという以外にないのではないでしょうか。この国を救えるリーダーは、小沢一郎さんではないのですか? 少なくとも、象徴としての小沢一郎さんであるはずです。違いますでしょうか?

ところで、いままで「小沢一郎議員を支援する会」では、何回かシンポジウムを開き会費を徴収しておられました。過去の文面を読むと、「手弁当で」という表現もあり、とても会費で賄いきれていないのかもしれませんが、毎回会費を払っている立場としては、ぜひ一度会計報告をしていただきたいと思います。それが、会費を徴収している会の責務とも思いますが、如何でしょうか?

ニャン子太郎 Eメール 2011年05月11日(水)11時33分

私は「小沢総理」を切望しています。
ですので、山崎氏が脱会の時には氏に共感して世話人の方々へ憤慨の念を持ちました。
しかし、伊東先生のコメントを読んでからは考えさせられています。正直言って複雑な心境です。私自身このサイトを閲覧する上で会の趣旨を誤解もしていましたし・・・。
≪日本の民主主義を破壊しようとする者に対して、その都度鋭敏な感覚をもって対抗してゆくということ≫
≪今でも大久保、石川、池田ら元秘書に対する不当な裁判は続けられています≫
そもそも「民主主義」が健全な状態であるなら「小沢政権」も自然と出来ていた筈だし・・。
まずは民主主義を守る戦いが先決かぁ・・・と納得もしてしまう。
小沢氏が総理になることとはまた少し次元の違う話で、こちらの方がある意味難しいし重要なのかもしれない。

ただ〔ICHIKAZEROKA〕さんのコメントも凄く説得力があって頷けます(小沢総理を願っている私としては当然共感しまくるコメントですし)。

どちらの考え方も納得してしまいます。
「小沢一郎議員を支援する会」に趣旨・目的が二つあってはいけないのでしょうか?
色々諸派があって同時進行は出来ないのかなぁ。。

さまよえる猫 2011年05月11日(水)20時35分

「小沢総理」のどこが問題なのですか?

今も相変わらず検察、メディアから叩きまくられている
小沢さんに、”ガンバレ”とエールを送る言葉は、何でもいいです。
民主主義が大事、憲法が大事と何千回叫ぼうと何が変わりましたか?

小泉氏は自衛隊がいる所、そこは戦地でないとイラクへ派兵しました。その時、国民からブーイングは起きませんでした。
憲法違反と真っ向から反論した政治家は私の知る限り小沢氏一人でした。

デモを何十回するよりも、小沢さんに復権して貰う方がよっぽど日本の改革が進むのでは?
マスコミの改革は、マスゴミだ、と何千回叫ぶより小沢さんが内閣に入ってくれる方がよっぽど前に進むのでは?
日本の自立を私達がどれ程望もうと変わりますか?
小沢さんがトップになれば、この国は1歩も2歩も前進します。
どんな運動よりも、トップを変える方が、よっぽど国を変えることができます。
人間の歴史は、その時々の天才が大きく舵を切って変えてきたのだと思います。

この”小沢さんを支援する会”が、ここまで育ったのは、世話人さん達だけで大きくなったのではないはずです。ここに集う多くの人達の願いを理解してますか?
千人規模の小沢さんを支援するデモが、昨年秋から16,7回も起きています。その事を理解していますか?

細かいことで分裂などしないで、少しでもエールの声が大きくなるように努力するのが世話人さんのツトメでは?

今頃、小沢さんは、被災地を助けるためどれ程の気持ちで戦っているかを考えて欲しいです。

一読者 2011年05月12日(木)09時48分

この話題、続きますね。
私は山崎さんの活動に敬意を表し、小沢氏を支持する者ですが、私の理解では、世話人の人は小沢氏を総理にしてはいけないなどとは言っていないと思います。ただ、会の目的はそうではない、と言っているのだと思います。「総理にしたい」という人はそのための活動をすればいいので、「総理にする会」にしないから駄目だ、というのは議論が違うような気がします。総理にしたい人はその趣旨の活動や集まりを作り、その会とこの会で重複する人がいてもいい、ついでに「総理にしなくてもいいよ」という人も同居しつつ、世の中の変なところを糾す活動をする……という感じじゃ、ダメなのでしょうか。

東方 昇 2011年05月13日(金)13時10分

必要以上に自己顕示欲の強い方が「何故」と首を傾げていたら、反対運動のキーパーソンとしての「顕示」で、業者への暗黙の「要求」であるケースが多いものです。

以前から山崎さんの「杉並の~」と聞くたびに「いわなくてもいいものを」を感じていた自分としては、孫さんの記者会見のときも、「余計なことを」をと感じていましたから、当時はまだ「世話人」だったので、遠まわしに批判していたつもりです。

それがこんなことになってみると、私にしてみればただの「やはり」と「化けの皮がはがれた」だけに過ぎません。

個人的には伊藤さんを存じ上げておりますので、会の趣旨その他に関しては「初志貫徹」は維持されているものと感じております。

em5467-2こと恵美 2011年05月13日(金)23時01分

<伊東先生及び世話人の皆様>
こんにちは。私は支援する会の決起集会から出席してきましたので、私なりの考えを述べさせて頂きます。
決起当初は、人数も一握りで、手作り感一杯でしたよね。
世話人の方々は皆さんご高齢で、左翼活動、市民活動をされてこられた方々でした。
それなのに政治色が薄く、小沢さんの同級生有志が発起人という稀有な会でした。
私が思うに、その原点のまま活動されれば、大変意義深いものであったと思います。
違和感が出たというかベクトルの違いが明らかになったのは「日本一新の会」とイベント共催をされてから顕著になったと感じています。
一般参加者のベクトルの違いは仕方ありませんが、共催される会との埋め難いベクトルの違いはやはり無理があったのではありませんか?
そもそも日本一新の会は小沢一郎提唱の日本一新十一基本法案の実現を目指して設立されました。
ところが、支援する会は世話人の方々が書かれている様に、小沢一郎に限らず民主主義を守る事が主眼であり、政策について必ずしも小沢一郎と一致している訳ではありません。
憲法9条の考え方も小沢氏とは根本から違います。
小沢氏の政策には必ずしも賛成ではないが、検察、マスコミのあり様はとても民主主義でないから小沢氏を支援するというもので、根本的に両者は相いれないのです。
世話人の皆様が、これを機にポジションを明確にされました。原点回帰されました。
もう一度、スタート時点に戻り、小さくともキラリと光る活動を地道にして頂きたい。陰ながら応戦します。

アーサー52 Eメール 2011年05月15日(日)16時23分

この様な会があったのは知らなかった鷓8緘†呂覆†藥笋皹†臧†發貌†蕕擦督困†燭い隼廚い泙† †