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【世話人情報】 明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

昨年は、日本での65年間の既得権益を死守する米国支配層を司令塔として、検察、裁判所、大手マスコミ、菅民主党執行部、自民党、公明党、共産党など野党、財界が一体となり小沢一郎氏の抹殺を狙った猛烈な「小沢バッシング」が吹き荒れた一年でした。

昨年は同時に、これら一連の「小沢氏抹殺の政治謀略」に気が付いた多くの賢明な国民が小沢一郎氏を支援し日本の民主主義を守る闘いに決起した年でもありました。

今年こそ主権者国民が反転大攻勢して小沢政権を樹立して「国民生活が第一」の政治を実現したいものです。

「日本一新の会」平野貞夫代表が「小沢バッシングに狂奔する日本のメディアはすでにファシズムそのものだ」と鋭い指摘をされています。

以下に記事を転載しますのでお読みください。

▼ 小沢問題」にみる「平成のメディア・ファシズム」 「日本一新の会」代表 平野貞夫氏

2010年12月17日  内憂外患

http://opinion.infoseek.co.jp/article/1137

 わが国で、深刻なファシズムが始まっていることに気がついている人は何人いるだろうか。「平成ファシズム」といってもよいし、実体から言えば「メディア・ファシズム」ともいえる。

「小沢問題」とは、昨年3月の西松事件から始まり、陸山会事件などについて、「小沢氏は国会で説明責任を果たしていない」との野党要求に対し、与党民主党執行部が最初は国会対策として、その後は菅政権の延命策として、小沢氏をまずは政治倫理審査会等の場に引っ張り出そうとして、民主党内が混乱している問題である。

「小沢問題」は政治倫理審査会で審査できる問題ではない。マスメディアが言論の暴力で、小沢排除の先頭に立ち、民主政治を崩しているのが問題である。

■ファシズムとメディア

「ファシズム」をひと言で定義するのは難しい。平凡社の世界大百科事典を要約すれば「資本主義の全般的危機の産物であり、崩壊しそうな資本主義を守るため、権力が市民の民主主義的諸権利を踏みにじり、議会の機能を麻痺させ暴力的支配をおこなう」となる。現代のファシズムを論じるとき、何が「暴力的支配」に当たるかが問題となる。

 「自衛隊は暴力装置だ」と国会で場違いの発言をして問責決議案が可決され、居座りを続けている大臣がいる。参考になる話だ。現代社会の「暴力装置」は、『巨大マスメディア』といえる。「馬鹿なことを言うな」と、「社会心理的暴力装置」の代表者ナベツネさんたちは怒ると思うが、心理的には間違いなく「暴力装置」だといえる。

 現代の情報社会では、マスメディアは完全に立法・行政・司法に次ぐ第四権力である。前者三権は憲法で規制されているが、マスメディアは野放し状態である。実体として立法・行政・司法の三権は、マスメディアがコントロールする世論によって影響を受け支配されているのだ。

 さらに、第四権力の本質は、資本主義的利権と特権を持って、社会の木鐸たる役割を放棄した利益企業として存在している妖怪である。グローバル化とIT技術の発達という資本主義の崩壊的危機の中で、生き残りをかけて巨大マスメディアは、既得権(記者クラブ制・クロスオーナーシップ・低廉な電波料金)を死守しようとしているのが現実である。それを改革しようとする小沢一郎の存在を彼らは許さず、襲いかかっているのだ。

■「暴力装置」としてのメディアの実体

 12月13日(月)、永田町は朝から「民主党分裂か」と緊迫した。同日午後の常任役員会で、岡田幹事長が「小沢氏の政治倫理審査会での説明出席を、役員会の議決で決める」との動きが出たためであった。

 結果は、幹事長一任となり先送りで、有耶無耶となった。小沢グループの有志が「議会民主政治に反し、正当性がない」との「決議」を岡田幹事長に渡して抗議するなどの動きに影響されたようだ。

 小沢氏の国会での説明については、臨時国会で野党が要求したものである。国会正常化の条件の一つであったが、現場の与野党で「小沢氏が出席説明できる環境を整備するよう努力する」ことで合意していたものである。

 それを岡田幹事長が「政治倫理審査会で説明するようにする」と、与野党幹事長等会談で約束したことで混乱が始まった経緯があった。それを菅首相や仙谷官房副長官が「小沢排除」に利用して、岡田幹事長の独り芝居となったわけである。

 一部の見方では、党議に反した場合、小沢氏を離党させて他党と連立や提携を深めようとの魂胆があったといわれている。この日から翌十四日にかけての各TV局は一斉に「小沢は岡田幹事長の要請を受けて、政倫審に出席して〝政治と金〟について説明するのは当然だ」と「小沢叩き」一色となった。特に酷かったのが朝日の星氏と時事の田崎氏であった。社命の背景があったかも知れないが、この二人が「メディア・ファシズム」の政治部門の旗手といえる。

 翌日の朝刊も酷かった。各紙とも岡田幹事長を支援する論調や解説で、新聞社もここまで劣化したのかとあきれ返るほどであった。特に呆れたのは読売と朝日で、『小沢氏の招致を先送りするな』(読売)では、「菅首相が通常国会に向けて態勢を立て直す第一歩が、小沢氏の政倫審招致実現である」と論じ、菅政権の無能力を小沢氏の責任にする暴論である。

 朝日は岡田幹事長と同じように、正気の沙汰でない社説であった。『小沢氏はもう逃げるな』という見出しで、小沢氏の「政治と金」を民主党にとっての「宿痾」(しゅくあ)だと断定している。

 えらい難しい言葉を使って教養ぶりを見せびらかしているが、そこが朝日のイヤラシさだ。これこそ背広を着た暴力団とどこが違うのか。まさしく「言論の暴力」だ。小沢氏が自民党を出て、真の政権交代を遂げるまで、政治資金について法規を遵守して、どんな苦労をしたのか、私がもっとも知っている。

 朝日がそこまで言うなら私にも言い分がある。五十五年体制下で、私が付き合っていた朝日のOBや現職幹部が取材や報道という名目で、どんなスキャンダルや、政治家との関わりをしていたのか、黙っているわけにはいかない。

 聞くところによれば、朝日の社内では「官邸機密費」にふれることは禁句とのこと。立派な建前を偽りで続けていくことは、菅首相や仙谷官房長官らの感性と同質だ。戦前のファシズムを創ったメディアでは、朝日の戦争責任が一番大きい。「平成のメディア・ファシズム」の源は、小沢氏を政界から排除しようとする、朝日新聞にある。

■政治倫理審査会の本義を知れ

 ロッキード事件に始まった政治倫理制度の創設に、私は約10年間、衆議院事務局の担当者として関わってきた。国会議員はじめ、メディア有識者が、政治倫理審査会の本義を知らずに議論していることに、ファシズム化を深めた日本の政治の悲劇がある。政治倫理審査会の審査は、

1)議長が、法令で決める規定に「著しく違反した」議員の政治的・道義的責任を審査することにある。

2)それは行為規範か、資産公開法か、政治資金規正法に違反したことが前提である。

 小沢氏の場合、秘書や元秘書が起訴された「政治資金規正法」が前提となろう。政治的謀略で起訴となった収支報告は適法であったとの論が大勢であるが、仮に起訴どおりとしても「著しい違反」ではない。従来なら総務省の行政指導により訂正で済ませていたことである。小沢氏は共謀を疑われて、何回も取り調べに応じ、二度にわたり検察が不起訴にした事件で、その都度記者会見で説明している。審査会の対象になるものではない。

 審査会が審査を行うについては、まず、審査会規程第二条で委員の三分の一以上の申し立てが必要である。現在野党だけでは員数が足りなく、民主党の同調が必要となる。そのことで民主党内が紛糾しているのだ。

 仮に申立をするにしても「著しく違反していることを明らかにした文書」が必要である。小沢氏を申し立てる場合、政治資金規正法に著しく違反したことを明らかにする文書など作成できるはずはない。

 次の方法は審査会規程第二条の二で、不当な疑惑を受けたと議員が自ら審査の申し出を行う場合である。小沢氏は不起訴の状態である場合、この規程により審査会に出席して、疑惑が不当であったことを説明するために申し出るつもりであった。代表選等で審査会に応じるとの発言はこのことであった。

 しかし、10月4日、検察審査会が二度目の起訴議決を行ったことを発表。小沢氏側が行政訴訟を起こし司法手続に入った。そして近々本格的裁判が行われることになっている。この状況で、審査会の審査や調査に応じることは、裁判に影響を与えることになり、国政調査権の限界をこえることになる。三権分立の原理を守るためにも応じるべきではない。

 岡田幹事長は「裁判に関わることではなく、政治責任を取り上げることなので別だ。世論の大勢が国会で説明しろといっている」と発言しているが、とんでもないことだ。審査会で政治責任を審査することは、事実関係を抜きではできない。当該裁判に直結することである。世論の大勢というが、「心理的暴力装置」のメディアが創りあげたものに、依存するとはあきれたことだ。

 政治倫理審査会は何のために設置されたかというと、グローバル化し、情報化した国家社会で、健全な議会民主政治を発展させるためのものだ。国会議員の人格的・経済的倫理を確立させることが目的であった。

 制度をつくるとき、もっとも配慮したことは審査や調査を行うにあたって、議員の職務や権限を侵すことがないこと、政治倫理確立という美名を利用して、国民主権で有権者から選ばれた地位を侵害しなくするため、などであった。例えば、「議員辞職勧告決議案」の提出をやめること、政治倫理問題を国会対策などに利用しない、といったことである。

■官邸と岡田幹事長が小沢氏の国会招致に拘る理由

 12月15日(水)夜、仙谷官房長官が語ったといわれる重要な情報が入った。「小沢氏が起訴され裁判が始まると、元外務事務官・佐藤優氏のように休職扱いにすべきだ」とのこと。真偽はわからないが、総会屋や暴力団を庇う弁護士の考えそうな話だ。要するに菅政権にとって、「国民の生活が第一」とする小沢氏をどうしても排除したいようだ。そのため、さまざまな手を使って道理に合わないカードを切っているのである。

 そう言えば、検察事情に詳しい人の話だと、柳田法相の2ヶ月間に何もやらなかったといわれているが、実は官邸が検察をグチャグチャにしたとのこと。尖閣列島問題だけのことではないらしい。第五検察審査会の不可解な動きに官邸が関わっていた可能性がある。来年1月13日の民主党大会前日の12日に、小沢氏が起訴されるらしいとの日程は、官邸の党大会対策との情報もある。

 小沢氏の国会招致をこの線上で見ると、恐ろしい謀略で日本の政治が動かされているといえる。政治倫理審査会で「小沢問題」の審査を行うことに正当性はない。証人喚問に至っては暴論、暴挙である。

 小沢氏を苦しめた一連の事件は、政権交代を阻止する自民党旧体制と検察がメディアとコラボレーションをした弾圧であった。それを政権交代以後の菅政権が引き継いだのが実体である。民主党がまっとうな政党なら、「小沢問題」は、民主党が自民政権の謀略と検察ファッショ性を追求すべきことだ。

 歴史は繰り返すというが、昭和9年(1934)の帝人事件・検察ファッショを思い出す。検察のデッチアゲであることが警視総監の証言をきっかけに判明したが、斉藤内閣は倒れ、翌年には「天皇機関説事件」、次の昭和11年には「2・26事件」が起こり、日本はファシズムの波に洗われることになる。しかし、気骨のある議会人・斎藤隆夫や浜田国松らは議会政治を守るため生命を懸けた。21世紀の国会では、「平成のメディア・ファシズム」侵攻の危機を訴える政治家は未だいない。

 しかし、私たちは悲観してはいけない。「平成のメディア・ファシズム」に気づいて、真実の情報を伝えようとするITネットの努力を知っている。この人たちと共に「メディア・ファシズム」と闘っていくのが「日本一新の会」である。

(終わり)

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