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主権在民フォーラム・講演会中止のお知らせ

 首都の一大決算となる東京都知事選挙も余すところ10日弱となりました。

 さて、過日当ブログでお知らせしました、2月6日の講演会の件につきお知らせします。

 当初の予定では、2月6日、豊島公会堂において細川護熙候補、小泉純一郎下総理を招いての講演会を予定していましたが、その後お二人の講師の出席が困難となったことなど、諸般の事情から残念ながら当日の講演会は中止することとしました。

 誠に残念なことではありますが、この上は真の脱原発を訴える候補者が当選することを祈り、陰ながら応援するほかありません。

 ここにご報告とお詫びのご通知を致します。


                 小沢一郎議員を支援する会  

「主権者フォーラム」への呼びかけ

 国民の大半が反対する、治安維持法の再来と言われる特定秘密保護法が、衆参両議院での強行採決により成立しました。

 大手メディアとそこに巣食う「文化人」は、今になってこの法律の危険性を吹聴していますが、そもそも現在の政治状況は、4年前に小沢一郎議員に対する攻撃が仕掛けられた時に予測されたものです。

 そのことを全く無視して特定秘密保護法に反対したところで、小沢攻撃の罪と日本の民主主義を潰した罪が消えてなくなるものではありません。

 小沢潰しの結果、国民生活破壊の政策は益々進行し、露骨な中国、韓国攻撃による極端なナショナリズムが横行し、今や日本の政治は戦前回帰に向け、まっしぐらという実情です。

 この先3年間、自公及び翼賛政治が続いたら、一体この国はどうなってしまうのか、という不安、恐怖が頭をよぎりますが、だからと言って私達が3年間今の状況を座視して良いわけがありません。

 丸3年以上にわたり小沢裁判を支援してきた私達は、こうした危機的状況の中で新たに組織替えをし、来るべき決戦に備えるべきと考え、以下のとおりフォーラムの結成を呼びかけるものです。


【「主権者フォーラム」へのご参加のお願い】

 2009年7月の総選挙において、民主党は日本で初めて議会選挙による政権交代をなし遂げました。

 戦後60年以上続いた自民党政権による様々の悪弊は、これによって少なからず除去され、反国民的政策は、一転して国民のための政策に転換されるとの大きな期待を抱かせたものです。

 ところが、現実には沖縄米軍基地移転問題で鳩山政権が躓くや、これを継いだ菅政権が突然公約破りの消費税増税を宣言し、菅の後を受けた野田政権は、財務省の後押しを得て消費税増税を実現してしまいました。

 その間、民主党政権の最大の実力者である小沢一郎議員は、与野党を問わない全党からの攻撃の的となり、民主党政権の中枢から追放され、結果、2011年の参院選、2012年の総選挙において、民主党はあっけなく惨敗を喫し、僅か4年で政権の座を明け渡すに至りました。

 その後に政権の座についたのは、7年前に勇躍総理の座に着いたにも拘らず、胃腸病のため僅か1年足らずで総理の座を投げ出した安倍晋三でした。
衆参両院で圧倒的多数を占めた安倍第2次政権は、一時自公から政権を奪った民主党政権の政策に対する憎しみと怨みを込めたように、矢継早に超反動的な政策を打ち出してきています。

 2014年から8パーセントに引き上げられることが決定した消費税問題、発生から間もなく4年を迎えようとしているにも拘らず解決の糸口さえ見出せないまゝの福島第一原発の放射能漏れ、農業を初め日本の産業を益々弱体化させるTPPへの参加、沖縄米軍基地の恒久化、戦後の民主憲法の改悪、破壊を目指す憲法の空洞化、その露払いとも言える特定秘密保護法の実現など、どれ1つとっても戦後日本の民主々義を根底から覆すほどの政策が、臆面もなく進められています。

 その一方で、日本の経済は益々深刻なスタグフレーションに落ち込み、国民の総貧困化が促進されています。

 こうした国内の政治、経済状況は、戦後の日米同盟関係(正確にはアメリカに従属した日本の政治、経済、社会体制)が、いよいよその極点に達したことを表していると思います。
このような日本の危機的状況に対し、かつては先進的な役割を果した学者、学生、労働者による反撃の声は全く聞かれない状況になっています。

 私達としては、このような深刻な状況の中で例え小さな組織でも、小さな声であっても、この日本の危機に対して異議を述べ、警鐘を鳴らすことによって最後には大きな国民的な反撃の波を作り出すことができると考え、今回、新しいフォーラムを結成することにしました。

 このフォーラムは、前述のような日本の抱える様々の重要問題について多数の講師陣からの問題提起を受け、それに基いて、あらゆる形態での政治活動を展開し、大きな政治的な力を結集してゆこうとするものです。

 もちろん、それぞれの課題について、各人の立場は異なることもあると思います。
そのため、各個の課題について一致し合える範囲で、一致し合える人々が協力し合えれば良いと考えます。

 以上のような趣旨に是非ご賛同の上、当フォーラムに絶大なお力添えを下さるようお願い申し上げます。

6月7日「小沢一郎議員を支援する会」3周年記念レセプション

6月7日「小沢一郎議員を支援する会」3周年記念レセプション
出席予定のゲストです。

生活の党代表 小沢一郎 衆議院議員
経済評論家  植草一秀 氏
文藝評論家  山崎行太郎 氏
一水会顧問  鈴木邦男 氏
前衆議院議員 東 祥三 氏
同      三宅雪子 氏
同      辻  惠 氏
同      木内孝胤 氏
同      木村たけつか 氏
前参議院議員 姫井由美子 氏  (他多数)


また、レシプションの様子をUSTREAMで生配信いたします。
こちらのURLよりアクセスをお願いいたします。
http://ustre.am/qAci

小沢一郎議員を支援する会 「3周年記念レセプションへのお誘い」

 民主党政権が誕生した後、本格化した権力の小沢一郎議員攻撃に疑問を感じて始まった当会は、今年5月で満3年を迎えました。

 3年前の5月8日、神田の総評会館において約60人の賛同者が参集して当会の結成大会が開催されました。

 その後、本年3月7日までの間、合計10回の集会、シンポジウムを開催するとともに、合計11号の会報を発行してきました。

 その間、小沢一郎議員に対する裁判は無罪が確定したものの、3名の元秘書の内2名は高裁で有罪のまま上告を断念し、1人石川知裕議員のみが上告をしている状態です。

 一方で、昨年暮の総選挙で、民主党政権はあえなく自壊し、自公政権の復活と反動的改憲勢力の跳梁を招いています。

 当会としては、小沢一郎議員を支援する会の運動によって、多少なりとも日本の民主主義運動への貢献ができたものと自負しています。

 しかし、日本の政治情勢は4年前の民主党革命から遥かに後退したものになってしまいました。

 当会としては3周年を迎えて、この3年間の総括をするとともに、これから、どのような形で運動を続けてゆくべきかを、会員及び当会結成以来ご協力頂いてきた国会議員、学者、文化人等の皆さんと率直に議論したいと思います。

 お忙しい中とは存じますが、是非万障お繰り合わせの上ご参加下さるようご案内かたがたご通知します。


 日 時 2013年6月7日(金)午後6〜8時
 会 費 お一人様5,000円(当日、会場入口受付にて現金払い)
 ところ 中央大学駿河台記念館 レストラン「プリオール」
     〒101-8324 東京都千代田区神田駿河台3-11-5
     電話 03-3219-6085

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 駿河台記念館への交通アクセス
  JR中央・総武線 御茶ノ水駅下車、徒歩3 分
  東京メトロ丸ノ内線 御茶ノ水駅下車、徒歩6 分
  東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅下車(B1出口)、徒歩3 分
  都営地下鉄新宿線 小川町駅下車(B5出口)、徒歩5 分

 参加ご希望の方は、お手数ですが5月20日までにハガキ等書面でのご郵送、もしくはFAXにてお知らせ下さいます様お願いします。
 尚、会場の都合上、先着80名様にて打ち切らせて頂きます。

小沢一郎政治裁判はまだ現在の政治的事件である(五) 三上 治

対話風の議論から
小沢一郎政治裁判と日本の政治権力(2)

A 君は「憲法の核心は権力の問題である」と言っていたね。それは憲法(法)が政治権力の統治のための道具ではなく、権力を制限し、縛る道具であれということをいいたいわけだ。これが国民の思想となっていないというか、それが肉体かしたものとしては存在していない、それを問題にしていると理解していいか。

三上 それでいいのだと思う。ただ、それは誰しもいうことだね。なぜ、肉体化された思想としてないかということが肝心のところだね。今年は1960年の安保闘争から50年目だね。あの闘争の歴史遺産ということを話してみようか。1960年の5月20日に当時の岸内閣が安保条約の調印の強行採決をする。この採決は国会法(法律)ということでは合法的行為であるが、理念的には違法である。これに抗議して6月15日に学生たちは国会に突入し占拠した。この行為は法律的には不法侵入や占拠として違法であるかもしれないが、民主主義の実現という行為としては理念的には合法であった。この理念的ということと法律的ということが逆になっているところを注目して欲しい。理念的ということは法律の上位概念である憲法でも憲法精神でもいいけれど国民的意思としてはというようにいってもいい。でも、政治権力はこの理念のところを封殺して、法律のところだけを使って対処し、この行為を抑圧した。行為の歴史的意味を抹殺した。この理念の領域は抹殺したのである。僕はこの問題をずうっと考えてきた。法律がその上位概念と言うか、由来にあたる憲法(国民の意思的存在)を無視でき、それを問題にしないことで行為の歴史的意味を抹殺することを考えてきた。それは法律が政治権力の道具であり、その上位概念としての憲法も無視されていくのは、憲法も含めて政治権力の道具としてあることに帰着すると思えた。政治権力(統治権力)の絶対化や超権力化はそれを制限するものがないことは、憲法が在っても憲法として機能していないこと(存在していないに等しいこと)だが、それは政治権力(統治権力)の存在様式にあると思えた。
政治権力と国民の関係を含めた政治権力の存在様式ということなのだ。この政治権力(統治権力)の存在様式は抵抗が存在していないことが特徴といえる。権力のあるところに抵抗があるというのはフーコーの言説だけど、日本人には存在していない、あるいは弱いということかな。憲法は政治権力への抵抗である。その表現が憲法であるということがある。抵抗のない憲法は政治権力の道具になってしまう。

A 日本の憲法に権力への抵抗という思想が存在していない、その裏打ちがないということか。

三上 結局のところ憲法が力を持つのは政治権力(統治権力)への抵抗の存在があるからだよね。逆じゃない。憲法に力があるから抵抗があるのではない。抵抗があるから憲法が生きる(存在する)ということだ。日本では抵抗が人々の行動を律する思想的エトスとして存在していないということがある。それが言い過ぎなら弱いということだね。権力への抵抗、その思想的存在(肉体化された存在)があって、国民主権というのは意味を持つ。抵抗というのは政治権力からの自立(自由)ということと同義である。抵抗というのは権力と知と共同意識が一体となって流布されるものに疑念を持ちそれを対象化することだよね。権力の力の支配というよりは、同意形成というその生成に対する抵抗ということを自覚して欲しいのだけれど。政治権力は権威と力を持ってそれを行使し、権力の生成をするのだけれど、権威(人々が同意し、同調していくのはもの)への抵抗が必要だし、それが難しい。抵抗を権力の抑圧の体系に対する暴力的抵抗ととらえがちであるが、人々の同意(同調)を促し、それに参加をさせていく権力の生成様式の方に目をやらなければならない。そこでの抵抗ということの方が難しいわけだしね。本当に「政治と金」の問題は何か、それはどのように解決可能かという認識や構想がないと権力の繰り出してくる像に乗せられてしまう。これはね、政治の中で金はどのように集められ、使われているのか、それがどんなものか少し現実的な判断を持てば、マスメディアの報道や像など疑わしいと思う。生の存在の場での『これはおかしい』という反応や疑問を想像力で権力の動きにまで広げてみることが抵抗なのだ。むかし、想像力が権力をとるという言葉があったけど、想像力は抵抗の基盤なのだ。人権や基本権は僕らの生存の場で生きていることだが、この事件であの人はどんな運命にあうのか、その人間が権力から受ける仕打ちは、マスメディアや世間から受ける仕打ちであり、それが権力の機能する場だ。権力は裁判という救済装置があるという。裁判にかけられただけで失ったものは多い。それは裁判結果では失ったものはもどらない。だから推定無罪ということが言われるのだけど、これは行為に対する権力の判断に対する抵抗としてある。被疑者にかけられるだけで失われるものへの疑念というか、疑問があるということだ。こういう基本権は権力への抵抗なしに存在しないし、基本権の感覚や感性が権力への抵抗を可能とする。