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民主主義に思う事ー4.同調圧力

そして、「同調圧力」は、それを許さない。 夫々が主体的に同調する事は構わないが、同調するように圧力が加わるのはよろしくない。

中緯度地帯に属するが、広大な耕作地がない、気象が激しいなどの理由で、日本では、死滅はしないけど、豊かにもなれない環境で、村(ムラ)の中で、一致協力しなければ、生存できなかったのだろう。

人類には、「同調圧力」があったのだろう。そして、日本では、それが強力であった。(ムラ社会構造)

「同調圧力」内にあれば、誰かが言ったことが、『みんなの意見』になり、それに同調していればいい。それは、誰も責任を取らないことでもある。

異なる事物があれば、それを排除しようとする。それが、村八分であり、「いじめ」である。そしてそれが、同調ストレスの発散の方法になっているのであり、常に「いけにえ」が必要な社会なのである。

だから、日本では、学校ばかりではなく、会社(実社会)でも、「いじめ」が発生するのである。

さて、「同調圧力」にストレスなく同調するには、つまりは、考えないことである。

それが、「無気力」「無関心」「無責任」を生み、主体性などなくしてしまうのである。

昨今、「反知性化」などと言われているが、「同調圧力」に更に同調するには、言葉か、肉体による、暴力化するわけで、また、同調者にはそれが気持ちいいのである。

さらに、同じ「同調圧力」集団にあれば、何をおいても『みんなの意見』が、最重要で、それは、ルールも易々と越えていくのである。なるほど、同じ集団内にあれば、『みんなの意見』でルールも変えられるから良いのかも知れないが、対外的には大変不都合なのである。

しかし、その集団からスポイル(村八分・いじめ)されないために不都合には目をつぶるのである。

これが、日本の一流企業でさえ、原子力ムラでも、政党でも起きるのである。

東芝や三菱や・・・、そこかしこで不正が表ざたになっている。その多くが、上司に言われて、それに従ったり、忖度した結果である。

同じ集団内にあれば、『みんなの意見』は、同じだが、異なる集団と交流すれば、そこには、異なる『みんなの意見』があり、片側に属するものは、その集団の『みんなの意見』だから、自分が変更するわけには行かず、集団間では、「白か黒」にしか、決着できないのである。

そして、集団が大きくなれば、或いは、後継者問題に意識が生まれると、「派閥」が出来るのである。

「ムラ社会構造」は、ある意味、抜け駆け主義である。

「同調圧力」内では、順位は決まっている。或いは、一定の力学で順位争いしているのである。

順位が上がれば、いい思いが出来るのである。

 

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