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シンポジウム「現在の日本政治の混迷を打開し、真の民主主義を実現するためには、何をすべきか?」~更新~

タイトル:「現在の日本政治の混迷を打開し、真の民主主義を実現するためには、何をすべきか?」

日時 :R03年1月30日(土)14時~17時 (受付開始13時半)

場所 :原則 Zoom (としま区民センター701号室)

主催 :小沢一郎議員を支援する会

概要:シンポジウム

講師 :白井 聡先生、森 ゆう子議員他

 *未定ですが、小沢一郎先生のご参加も依頼しています。

参加費 :リモートは無料 (会場は、1000円)

参加資格:事前申込の方。(ZoomのURLをお知らせします。)

申込先 :minshushugi@minshushugi.net または、告知者へ

タイムテーブル(1/30 14:00~17:00)

 伊東章世話人代表挨拶(5分)

 白井聡先生の講演「政権交代、何をなすべきか」(50分)

 森ゆうこ先生の講演(20分)

 ゲストスピーチ(1人10~15分)順不同

 山崎行太郎先生

 小澤遼子先生

 辻恵先生

 二見伸明先生

 議員・候補者挨拶(1人2~3分)

 白井先生のまとめ(10分)

 終会の挨拶(5分)

 

講師紹介:

白井 聡

白井聡

政治学、社会思想研究者。東京都生まれ。

早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。

主にロシア革命の指導者であるレーニンの政治思想をテーマとした研究を手掛けてきたが、3.11を基点に日本現代史を論じた『永続敗戦論——戦後日本の核心』(太田出版)により、第4回いける本大賞、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞を受賞。著書に『未完のレーニン』(講談社、2007年)、『「物質」の蜂起をめざして』(作品社、10年)、『「戦後」の墓碑銘』(金曜日、15年)。

<京都精華大学教員紹介ページより>

 

近著:

武器としての「資本論」 白井 聡著 東洋経済新報社 2020年4月10日 発売

https://str.toyokeizai.net/books/9784492212417/

概要;なぜ格差社会が生まれるのか。なぜ自己啓発書を何冊読んでも救われないのか。資本主義を内面化した人生から脱却するための思考法。

武器としての「資本論」表紙

 

1/30シンポジウム=Zoom

  • 2021/01/27 18:33

シンポジウムは、Zoom開催となりました!

 

どうしても会場に来られたい方は、事前にご相談下さい。

 

連絡なく、来場されても入場いただけない場合があります。

 

シンポジウム「現在の日本政治の混迷を打開し、真の民主主義を実現するためには、何をすべきか?」

  • 2021/01/13 19:58

 

日時 :R03年1月30日(土)14時~17時 (受付開始13時半)

 

場所 :としま区民センター 701号室 または、Zoom

 

主催 :小沢一郎議員を支援する会

 

講師 :白井 聡先生、森 ゆう子議員 (確認取れ次第追加します。)

 *未定ですが、小沢一郎先生のご参加も依頼しています。

 

参加費 :1000円(リモートは無料)

 

参加資格:リモート参加は、事前申込の方。(ZoomのURLをお知らせします。)

  リアルは、事前申込の方優先。

  先着50名様まで

 

  *新型コロナの状況では、突然リアルを中止する場合があります。

   中止のお知らせをしますので、出来るだけ、事前お申込をして下さい。

 

申込先 :shinnominsyusyugi@gmail.com

 

 

タイムテーブル(1/30 14:00~17:00)

 

伊東先生の挨拶(5分)

白井先生の講演(50分)

森ゆうこ先生の講演(20分)

ゲストのスピーチ(1人10~15分)

山崎行太郎先生

小澤遼子先生

辻恵先生  他

議員挨拶

白井先生のまとめ(10分)

終会の挨拶(5分)

 

*「次ぎの総選挙に勝つために(仮称)」シンポジウム より名称が決定しました!

 

「次ぎの総選挙に勝つために(仮称)」シンポジウム

「次ぎの総選挙に勝つために(仮称)」シンポジウム

 

日時 :R03年1月30日(土)14時~16時半 (受付開始13時半)

 

場所 :としま区民センター 701号室

 

主催 :小沢一郎議員を支援する会

 

講師 :白井 聡先生、森 ゆう子議員 (確認取れ次第追加します。)

 *未定ですが、小沢一郎先生のご参加も依頼しています。

 

参加費 :1000円

 

参加資格:リモート参加は、事前申込の方。(ZoomのURLをお知らせします。)

  リアルは、事前申込の方優先。

  先着50名様まで

 

  *新型コロナの状況では、突然リアルを中止する場合があります。

   中止のお知らせをしますので、出来るだけ、事前お申込をして下さい。

 

申込先 :shinnominsyusyugi@gmail.com

忘年シンポジウム <予告>

  • 2020/11/12 17:31

会員の皆様

 
依然としてコロナ禍が猛威を振るっておりますが、お元気でお過ごしのことと思います。
 
さて、今年も残り少なくなってきましたが、当会では、久し振りに忘年シンポジウムを開催することを計画しております。
 
今のところは、12月12日(土)又は、19日(土)の午後を予定しておりますが、会場と講師の都合を調整の上で、計画が具体化し次第、正式にご通知します。
 
現在のところ、講師として以下の先生方を予定しておりますので、是非、ご期待ください。
 
白井 聡 氏 (京都精華女子大学専任講師)
森 ゆうこ 氏 (参議院議員)
その他
 
#小沢 一郎 氏のご参加もお願いしています。

日本学術会議の会員選任について

 

1、天皇による国事行為(憲法第3、4、6、7条)との対比 

 (1) 内閣総理大臣、国務大臣、法律の定めるその他の官吏(最高裁判事、検事総長等)の任命は、国会の指名、内閣の助言と承認により天皇が行なう。

しかし、天皇には、任命を拒否する権限はない。

天皇の国事行為の権限は、すべて形式的、儀礼的なものであり、自ら判断する権利を与えられてはいない。

そのことは、天皇の行為の根拠は、すべて国民の総意(意思)に基くものであるからである。

 (2) 一方、日本学術会議法第7条では、

  日本学術会議で選考した候補者を内閣総理大臣に推薦し、それに基いて内閣総理大臣が任命する

とされており、日本学術会議が選考、推薦した候補者を、自動的に内閣総理大臣が任命する仕組となっている。

日本学術会議法では、予め会議が会員として推薦すべき候補者の数を余分に推薦し、その中から定数分のみを総理大臣が任意に任命するという形式、定め方をとっていないのである。

つまり、内閣総理大臣は、日本学術会議から推薦された候補者を無条件で任命するという仕組となっているのである。

この点で、天皇が任命すべき内閣総理大臣、最高裁長官などの任命と全く同じ構造となっているのである。

その根拠は、日本学術会議法第3条にある

  「日本学術会議は独立して左の職務を行なう」

  という規定である。

   日本学術会議は、他のあらゆる権力(行政権を含む)から独立して、その職務を行なう、ということは、会の活動のみか、会の活動を支える会員の選任についても、他の権力からの独立を保障されているということである。

仮に、行政権において会員の実質的任命権を有することが許されれば、日本学術会議の独立性は有り得ないからである。

そして、日本学術会議の活動の独立の保障は、憲法第19条思想、良心の自由、第23条学問の自由の各保障を前提としているのである。

 (3) 仮に、日本学術会議の会員について内閣総理大臣が実質的任命権を有することを認めるのであれば、天皇が個人的に気に入らない安倍総理や菅総理を任命しないことも合法である、ということになる。

このことは、憲法上絶対に許されないことである。

 

2、このように日本学術会議の会員の選任については、形式上内閣総理大臣の任命行為が介在するものの、それは、天皇による各種行政官等の任命と同様、ごく形式的、儀礼的なものに過ぎず、いわば権威付けのための形式的手続であり、これを覆すような内閣総理大臣による解釈、介入の余地は全くないのである。

このことが現在の憲法の下で成立した日本学術会議法の正しい解釈であり、理念である。

これに対して、法文が内閣総理大臣の任命を明記していることを根拠に、いかにも内閣総理大臣が実質上も任命権を有していると解釈することは、天皇が自身の判断に従って、国会で指名された内閣総理大臣や内閣によって指名された最高裁長官を任命しないことも出来ると考えるのと一緒である。

日本学術会議の会員に対して内閣総理大臣が実質上の任命権を持つなどと考える者は、憲法と日本学術会議法を全く学んだことのない愚か者と言うほかない。

伊東 章

 

安倍政権を継承する菅内閣の憲法破壊を許すな

 菅内閣発足後初となる日本学術会議会員任命問題で、菅内閣総理大臣は日本学術
会議推薦にかかる会員候補の内、6名を任命拒否しました。


菅総理大臣は、日本学術会議法において会員の任命権は総理大臣にあるのだから
、場合によっては推薦された会員候補を任命しなくとも何ら違法、不当ではないと
言って、任命拒否の具体的理由、根拠を一切説明していません。


そして、国会での野党議員からの質問に対しては苦し紛れに、会員の出身大学の
構成が偏っているとか、年齢が偏っている等、全く頓ちんかんな答弁に終始してい
ます。

しかし、日本学術会議による会員候補の選任、推薦というのは、法律上絶対的な
ものであり、これを総理大臣が無視して任命拒否することは法律上許されていませ
ん。

内閣総理大臣による任命権というのは、天皇が国会から指名された者を内閣総理
大臣に任命したり、内閣が指名した最高裁長官を任命するのと同様、任命を拒否で
きない性格のものです。

もし、総理大臣が日本学術会議の推薦した会員を任命拒否できるとなると、天皇
が国会や内閣の指名した者を内閣総理大臣、最高裁長官に任命しないことも出来る
、ということになります。

このようなことは、日本の基本法である憲法を破壊すべき行為ということになり
ます。

安倍政権以降、自公政権による憲法破壊は目に余るものがありますが、安倍政権
の政策の継承者である菅政権の憲法破壊をこれ以上容認してはなりません。

伊東 章

野党は政権をとる気があるのか

<野党は政権をとる気があるのか>

  

1、自衛隊日報改ざん、閣議決定による憲法9条改悪、森友学園問題、加計学園問題、桜を見る会問題、黒川検事長の定年延長法案、そして河井国会議員夫妻の逮捕。

僅か2~3年の間の安倍政権の悪政、失政は、ひと昔前であれば、その度に内閣が吹き飛ぶ程、政権にとっては大きな失策です。

当然のことながら、その間何度も内閣が総辞職し、与野党の力関係が大きく変わる筈のものです。

それにも拘らず、この数年間の与野党の関係は、殆ど変化がなく、相変らず安倍独裁政権が盤石の強さを誇り、野党や国民からの強い批判、非難に対しても、まるで蛙の面にしょんべんという、ふざけた対応を続け、いけしゃあしゃあとしています。

このような状況に、多くの国民が日々イライラを募らせています。

しかし、その原因の提供者は決して独裁者安倍の存在や、それを支える自民、公明、ネトウヨばかりではありません。

こうした独裁者、政権与党の度重なる失政に対して、まともな反撃ができない野党の不甲斐なさも大いに与っています。

本来であれば、安倍政権のこれだけの失政に対して、内閣総辞職を求め、仮に内閣が国会解散・総選挙に打って出てくるのであれば、これに堂々と応じるべきです。

ところが、なかなかそのようにならないのは、いつまでたっても野党が離合集散を繰り返し、一本化できないからです。

それ故、自ら解散・総選挙を訴えることもできず、常に内閣に主導権を握られた選挙しか闘えないのです。

そして、内閣の主導による解散・総選挙に対応するしかないから、その場しのぎの野党統一しかできないのです。

従って、どんなに有利な材料があっても、受動的にしか選挙を闘えないから決して選挙で勝てるわけもないのです。

それが、安倍第二次内閣成立以来の野党の状況です。

 

2、そのような状況を打破するためには、野党によるより積極的な政治戦略が求められます。

その一つは、先ずもって常に選挙において勝てる体制を整えることです。

現在の選挙制度が基本的に小選挙区制を採用している以上、盤石な自公連合に対して各野党が分裂して闘っても勝てる道理がありません。

そのためには最小限一致できる基本政策の下に一本化し、いつ選挙があっても十分に闘える態勢を整えることです。

今の野党連合のように、選挙の日程が決ってから(というよりも敵に決められてから)選挙目的で連合するというのでは、余りにも遅すぎるし、消極的に過ぎます。

もう一つは、国会での成果を幅広く一般大衆と共有するとともに、大衆の力を結集し、共同の闘いを目指すために、国会議員が積極的に大衆の中に入ることです。

かつて、ロシアでは「ヴ・ナロード」と言って、多くの知識人が農民、大衆の中に入って行って広く啓蒙活動をしました。

このような活動を国会議員が行なうことによって、国会での活動と大衆の活動が結びつき、より大きな大衆の運動が広がり、その結果来るべき選挙においても、その力が勝利を保証することになります。

そして、大衆運動の大きな力の背景があれば、いつ選挙になっても堂々とこれを受けて立つことも可能となります。

そうすれば、受身の選挙を強いられる、ということもないのです。

野党が本当に政権を奪還するつもりならば、一刻も早く組織を統一し、いつでも選挙を闘える態勢を構築する以外にありません。

そして、むしろ積極的に内閣総辞職・国会解散を仕掛けていくべきなのです。

 

伊東 章

国家に対する幻想を捨てよ

<国家に対する幻想を捨てよ> 

1、「国家とは、支配階級が被支配階級を抑圧するための機関である」というマルクス主義の定義によっても、国家が国民に一定の義務を強制する見返りとして、国家が国民の生命と権利、財産を守る義務を有することは否定できないところです。

その場合、民主主義を標榜する国家では、そもそも国家は国民の意思に従ってその存在を認められ、国民の意思を体現する限りにおいてその存在を認められる、という関係にあります。

国民の義務といわれる納税の義務、兵役の義務なども、すべて国家が国民の意思を体現するという前提の下に、最終的には国民の生命、財産、権利を守るための手段として国民に貸される義務なのです。

間違っても、国民から離れ、国民に敵対するものとしての国家のために、国民の国家に対する義務が存在するものではないのです。

2、それでは、現在存在する、日本を含めた世界の国家の在り方とは一体どのようなものなのでしょうか。

中国や中東地域、アフリカ等、未だ民主主義が成熟していない国々の国家は言うに及ばず、一応は「民主主義国家」と言われているアメリカ、ヨーロッパ、日本等においても、国家が国民の意思を真に体現しており、国家が主権者である国民の平和と豊かな生活のための道具となっている国家というものは皆無です。

多くの「民主主義国家」というものが、一部(国民の数パーセント)の特権階級の利益のために機能し、それら特権階級の特権擁護のために権力を行使する一方で、国の多数を占める国民のためには、国家として有する財力、権力を行使するどころか、逆にこれら大多数の弱者である国民の正当な権利行使を抑圧するために行使されているというのが実情です。

国家というものが、決して国民の生命、財産を守るものではなく、むしろ、その逆である、ということは、数次にわたって経験した大規模な戦争によっても明らかです。

しかし、そのような大規模な戦争以外にも、私達は日々国家というものの真の姿を見せられています。

3、現在、世界はコロナ禍に襲われ、殆どの国が大なり小なり、危機に曝されています。

そして、その対応は千差万別ですが、少なくとも国が、国民の生命、生活を最優先して擁護しているところは、一つとして存在しません。

そもそも国家というのは、国民あってのものであるにも拘らず、国民の生命、生活を最優先してコロナ対策に当っている国家というものは一つもありません。

すべての国が、国としての存立、即ち国の経済、大企業の発展、成長ということを第一次に考え、国民の生命、生活というものは、国を支える経済の担い手、富の源泉としての存在意義と持ったものとしてのみ、これを保護、擁護しているに過ぎないのです。

オリンピックを強行するために、コロナ感染の実態を隠蔽し、その対策を遅らせたり、国民に対する経済補償を出来る限り削減するために、未だ感染が収束しないのに、緊急事態宣言を解除するなど、国家が真に国民の生命、生活を守る意思を持っているとは思えません。

4、最近、北朝鮮による拉致被害者の会の代表者である横田滋氏が亡くなりました。

彼らは、拉致家族の救出を公約に掲げた安倍政権を信頼し、8年もの間安倍政権の言いなりになった結果、何ら得るところなく年老いていったのです。

日本が北朝鮮に比べて遥かに平和で住み心地の良い国であるかどうかについても多くの疑いがありますが、それでも長年生まれ育った故国から、突然外国の勢力によってわけもなく拉致され他国に隔離されることは、大きな不幸です。

このような犠牲となった国民を救出すべきことは、国民すべての生命、財産を守るべき責務を負う国家としての最低限の義務です。

かつて日本赤軍によってハイジャックされた「よど号」事件で、自民党の山村新治郎議員が身代わりとなって北朝鮮に飛び、人質全員を解放したことがありました。

これが、国家権力を与る者のなすべきことです。

しかし、安倍総理とその閣僚は、北朝鮮拉致事件において一体何をしたと言うのでしょうか。

口先では拉致被害者を取り戻す、と言いながらも、せいぜい、アメリカ大統領の尻を追いかけ、アメリカの圧力又は対話路線に乗っかって、漁夫の利を得ようと図ってきただけです。

そのためには、国の莫大な予算をつぎ込んで、使いものにならないオスプレイ、イージス・アショアなどの兵器を買わされ続けているに過ぎません。

結局のところ、拉致被害者の家族は、安倍政権のヤルヤル詐欺のコマーシャル塔として利用されていただけなのです。

5、安倍とその政権が執拗に旗振りをしている憲法「改正」も全く同じです。

憲法とか法律とかいうものが、国家権力や権力を行使するものの恣意的な権力行使を抑圧するために存在するものである、という極く基礎的な理解も無しに、ただただ国家権力と権力行使者の力をより増大化し、逆に国民の生活、権利を更に抑圧しようというのが、憲法「改正」の実態なのです。

戦前、日本人は、天皇の国家権力は、天皇が国、国民の父であり、家長であって、その天皇は家族である国民を愛し、慈しみ、その生命、生活を保障するものである、従って国民は黙って天皇(父)の命令に従っていれば幸福を保障される、と教えられました。

その結果、国民は戦争の惨禍に見舞われ、国は滅びました。

今、安倍とその内閣が目指していることは、その再現なのです。

私達は、そろそろ、国家に対する幻想を捨て、国家と国民との関係を正しく見直すべきです。

そして国家権力を国民の行使するものに変えるべきです。

 

伊東 章

「都知事選二人出馬は、民主主義のゲームチェンジャーとなりうるか」

面白い記事があったのでシェアします。

 

「都知事選二人出馬は、民主主義のゲームチェンジャーとなりうるか」

 

前編 ―前回都知事選で負けた理由―

 

中編 ―政治離れと選民主義のデッドロック―

 

後編

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