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商業主義的スポーツへの反旗

「商業主義的スポーツへの反旗」

-大坂なおみのインタビュー拒否問題-

 

小沢一郎議員を支援する会 

代表世話人 伊 東   章

 

1、女子テニス界のスター、大坂なおみが、2回戦に進出が決ったところで全仏オープンテニスを棄権した。

理由は、試合後のプレスインタビューを拒否したことから、世界四大タイトル戦の主催者側から、出場停止処分を仄めかされたことであるらしい。

私が、このニュースを聞いて真先に考えたことは、正にこれが現代のオリンピックの構図を如実に表している、ということである。

ひと言で言えば、スポーツ界とマスメディアの癒着、というよりか、マスメディアによるスポーツの支配、ということである。

私が前回のブログで述べたのは、現代におけるスポーツは、マスメディアを含めた企業に、完全に支配されている、ということである。

企業、マスメディアの発展によって、それ迄は純粋に、それを楽しむ個々人のためのスポーツであったものが、企業のためのスポーツ、マスメディアのためのスポーツに変質した。

その究極の姿がオリンピックである。

平和のための祭典とか、国境を越えた友愛などというおためごかしのスローガンの下で、スポーツもスポーツ選手も、企業やマスメディアの金儲け主義のために利用されている。

そのために、企業もマスメディアも、一般の労働者と比較しても破格のギャラ、 賞金を未熟な若者に支払う。

従って、オリンピックの開催が、どんなにコロナ禍を増大させると判っていても、主催者も選手も、絶対にオリンピック中止、出場停止とは言わない。

 

2、多くのスポーツ選手は、試合に勝っても負けても、マスメディアでの露出を喜ぶ。

それは、様々な意味で自身の立身にとって大なり小なりメリットとなるからである。

そして、マスメディアもスポンサーも、自分達が支配する選手をマスメディアで広く拡散することによって、企業的な利益につなげている。

ある意味で、選手がマスメディアの要請に応じてマスメディアに露出することは、双方の共通した利益とも言える。

しかし、大坂なおみのインタビュー拒否は、そうした、スポーツ、スポーツ選手を支配する体制への痛烈な反抗と思える。

もちろん彼女とて、マスメディアやスポンサーの恩恵によって、現在のスターとしての地位及び富を獲得したのであるから、一概にそれらを敵視するわけにもいかないだろう。

場合によっては、これまで築いたテニス女王大坂なおみの地位を失うことになるかもしれない。

それは、マスメディアやプロダクションに楯ついた俳優やスターが失墜せざるを得ないのと同じ構図である。

大坂なおみの問題は、東京オリンピックと同様、スポーツ、スポーツ選手と国、企業、マスメディアの関係について大きな問題を国民に提起したと言える。

何度も繰り返すが、スポーツとは、個々の人間が人間活動の一環として行なうべき人間性の発露であり、それがカネ、権力、名誉などと結びつくべきものではない。

それは、老若、男女、貧富の差無く、万人が等しく楽しむものであり、かつ健全に行なわれるべきものである。

金と汚辱にまみれた現代におけるオリンピックを初めとするスポーツは、およそ本来のスポーツのあり方からは対極にあると言える。

願わくば、大坂なおみが、東京オリンピックへの出場をボイコットすることを切に望むものである。

以 上

オリンピックは反人民的祭典である

「オリンピックは反人民的祭典である」

-スポーツと欺瞞に満ちたオリ・パラリンピック-

 

1、「スポーツは、人々が楽しみ、より良く生きるために、自ら行なう自由な身体活動である。スポーツをする人は、美しいスポーツマンシップが生まれることを求め、健康な身体を育てることを目的とする」 

  スポーツに関するこの定義は、日本体育協会スポーツ憲章によるものです。

この憲章のスポーツの定義は、真に正しいものです。

スポーツとは、国民の1人1人がすべて、自分で楽しみ、より健康で豊かに生きてゆくために、自分で行なう、何物(カネや名誉等)にも束縛されず、自由に行なう身体活動なのです。

2、人類の歴史の中で、スポーツというものが生まれるのは、かなり遅く、近代以降と言われています。

古代(ギリシャ、ローマなど)では、剣奴による闘剣とか、戦車競争など、戦争に直結した体力、技倆の競争が主たるもので、純粋に人間1人1人の健康増進のために身体を鍛えるという考え方はありませんでした。

このように、戦争のために人間の(主として男子の)体力を強化するという考え方は、ほぼ近代まで疑問を抱かずに認められていました。

そのため、スポーツというものが戦争、戦闘行為と直結していたことは否定できません。

そのことは、戦前、戦中の日本軍国主義社会における体育、教練などを見れば一目瞭然です。

そこでの体育の目的は、主として敵を殺傷、せん滅するための体力づくりであり、そのための柔・剣道などの技術修得でした。

敵を殺傷、せん滅するための身体鍛錬、技術の養成を最も理想的に行なえるのは、軍隊における過酷な教育です。

このように、戦争というものと体育、スポーツというものは、極めて強いつながりを持っているのです。

3、近代に入り、社会の経済力が強まり、一定の余力が生まれるとともに、娯楽の要素の強い本来のスポーツが生まれてきます。

イギリスにおいて生まれた卓球、ホッケー、テニス、サッカー、ラグビーなど、又、その後アメリカで改良されたアメリカンフットボール、野球等々、基本的には軍事とは関係のないスポーツが次々と生まれ、それとともにそれまでは特定の者にしか許されなかったスポーツが大衆のものになってきたのです。

このように大衆が等しく、健康のためにスポーツを楽しめるようになるためには、すべての大衆がスポーツを楽しめるだけの経済的、時間的余裕を持つことと、貴族であれ軍人であれ一般大衆であれ、誰もが差別なくスポーツに関与できる条件がなくてはなりません。

つまり、すべての大衆が等しく、それぞれが好むスポーツに参加するためには、社会の中に正しい意味での民主主義が存在することが必要なのです。

4、フランスの貴族であるクーベルタン男爵によって提唱されたオリンピックが、1896年に開催されました。

オリンピックの究極の目的は、スポーツを通じた相互理解、友好の精神による世界の平和です。

古代ギリシャ時代から続く、世界の戦争を、オリンピック精神で止揚したいとするクーベルタン男爵の発想を理解したいとは思いますが、現実には、第1回目のオリンピック(1896年)以降、続く米西戦争、日露戦争、第一次世界大戦(1914~1918)、第二次世界大戦((1939~1945)、朝鮮戦争、ベトナム戦争(1964~75)、湾岸戦争(1991)、イラク戦争(2003~2011)、アフガン戦争(2001~)と、オリンピック精神などは全くと言って良い程空疎なものとなっています。

オリンピックを創始したクーベルタン男爵自身は、第二次世界大戦が始まる直前にスイスで没しているため、まさか自分が創始したオリンピックの後に、世界中でこれだけ多くの大戦争、大量の人類殺戮がなされているとは、夢にも思わなかったことでしょう。

結局のところ、単純な平和主義によって真の平和が実現できるわけもなく、スポーツを通しての世界平和などというものが、全くの幻想に過ぎないことが歴史上既に証明されているのです。

5、前述のとおり、スポーツというのは、1人1人の市民が、より良く生きるために、自らが楽しみ、自らが行なう自由な身体活動です。

1人1人の人間が自由な意思で楽しみながら自ら行なうのがスポーツです。

もちろん、他人がスポーツをしているのを見て楽しむという面もありますが、あくまでも1人1人が自らの身体を活用して行なうものです。

古代の剣奴の闘いや、戦車競争のように、皇帝が奴隷や戦士に大衆の前で闘わせて楽しませるというものありました。

しかし、これは正しいスポーツでもなんでもない、ただの見せ物です。

現代でも大衆の前で公開処刑をする国々が存在しますが、これらは、体制や社会に不満を抱く大衆の欲求不満のハケ口として支配者が利用する手段という意味で、剣奴の殺し合いも一緒です。

そもそも、古代には一般の大衆が、より良い生活のために楽しめるスポーツなどというものは存在していなかったのです。

たまにスポーツと言えるものがあったとしても、それはせいぜい一部特権階級の者にのみ与えられたものでしかありません。

現代において、果して、すべての大衆がより良い生活のために、自ら楽しむスポーツというものが十分保障されているでしょうか。

断じて否です。

21世紀においても、そのように真のスポーツを保障されている人々は、多くの国において、極く一部しかいないでしょう。

その結果、大多数の人々は、他人(殆どがプロフェッショナルのスポーツ人)の演じるスポーツを見聞きして満足しているのです。

そのことは、巨大なマスメディアの発達によって一層顕著なものになっています。

巨大マスメディアは、世界中で行なわれるプロのスポーツを、電波や活字などで一般大衆の茶の間まで届け、大衆がいかにも、自分でもスポーツに参加しているような感覚にさせるのです。

そのことによって、巨大マスメディアを初めとして、スポーツのイベントを主催する企業、団体は巨大な利権を手にするのです。

その最大のイベントこそオリンピックです。

6、オリンピックを頂点とするスポーツイベントに参加し、一定の成績を上げたアスリートは、月桂冠ではなく、今や1つのイベントだけで数億円の富を手にすることができます。

プロ野球の大谷祥平選手、プロテニスの大坂なおみ選手などは、僅か20歳そこそこで年間に数億円の富を手にしています。

それは純粋にスポーツの種目で上げた成績に対する報酬だけでなく、名声を博したことによる企業の看板、広告塔としての役割に対する莫大な契約金を含んでいます。

現在の日本のテレビのワイドショー、ニュースのキャスターに、いかにスポーツ界の出身者が多いことでしょう。

又、いかに多くの有名スポーツ選手が、政界に転身し栄達の道を歩んでいることでしょう。

今や有名人になり金儲けをしようとしたら、博士や大臣ではなく、子供をスポーツ選手にするのが一番の早道です。

甲子園に限らず、あらゆるスポーツが立身出世のための近道とされているのです。

では一体、大坂なおみ選手や大谷祥平選手、錦織 圭選手などが手に入れている莫大な報酬金というものは、一体誰が生み出しているのでしょうか。

それは紛れもなく、悲惨な生活を強いられている世界中の労働者です。

7、パラリンピックはどうでしょうか。テニス界を例にとると、日本には国枝慎吾選手や上地結衣選手など、世界レベルの障害者プレイヤーがいます。

グランドスラムでの優勝金額は、健常者の数億円に比較すると、その50分の1の400万円程度です。

それでも、毎回のように、国内、世界各地の大会に参加し、多くの観衆の前で好きなテニスゲームを闘える、などという境遇は、無数に存在する障害者から見れば、まるで雲の上の存在でしょう。

このようなある種恵まれた境遇の選手は、経済的にも相当恵まれた家庭に育った数少ない「エリート」でしょう。

しかし、大多数の障害者は、これら一部のエリート選手の活躍を見て、本当に生きる勇気を与えられるでしょうか。

むしろ現在置かれている苦しい状況を益々思い知らされるのではないでしょうか。

パラリンピックなど、いかにも、障害者であっても、努力すれば報われるというような幻想を与えていますが、本当のところは、経済的にも身体的にも社会の援助を一層厚くして欲しい、と願うのが大多数の障害者ではないでしょうか。

大多数の障害者にとっては、パラリンピックで莫大な予算を使わなくても良いから、もっと自分達の生活が豊かで暮し易いものになることをこそ、願っているのではないでしょうか。

又、パラリンピックやグランドスラムには出られなくとも、自分達にも最低限のスポーツのチャンスを与えて欲しい、と願っているのではないでしょうか。

そのことは、健常者についても全く同様です。

大多数の国民は、一日中休みもなく働き、自分がスポーツを楽しんだり、健康のためのスポーツに取り組んだりする余裕すらないでしょう。

又、誰でも、いつでも、安価にスポーツを楽しめる施設も満足にありません。

そのような人々に、先ず、スポーツをする自由と環境を与えることこそが優先されるべきであって、一部のスポーツスペシャリストのためのスポーツイベントやオリンピックを優先すべきではありません。

8、オリンピック憲章を見ると、実に立派なことが沢山書かれています。 

 ・ 良い手本となる教育的価値、社会的責任、普遍的・基本的倫理的諸原則の尊重に基いた生き方の創造

 ・ 人間の尊厳保持に重きを置く平和的社会の推進

 ・ スポーツを行なうことは人権の1つである。

   すべての個人は、いかなる差別もなく、スポーツを行なう機会を与えられなければならない

 ・ 人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基く差別は、オリンピック活動と相容れない。(etc.)

  こうしたオリンピック憲章の理念、理想というものが、真に生かされている国家というものは、残念ながら存在しません。

今や、新自由主義の経済原則がまかりとおり、どこの国も、「俺だけ、今だけ、自分だけ」の世の中になっています。

コロナ禍によって人類の生存が危惧されているにも拘らず、先進国と言われる国々では、コロナワクチンの醜い奪い合いを演じています。

そして国内では、8年間続いた安倍政権とそれを引き継ぐ菅政権によって、国家と国民の倫理観、道徳観は腐敗、衰退し、社会全体が腐臭を放っています。

このような時に、オリンピックを開催するなどということは、そもそもオリンピックの精神を踏みにじるものと言うべきです。

私達の時代は、到底オリンピックを口にできるようなものではありません。

今こそ、私達国民1人1人が自分の足元と、国、社会の現状に目を見開き、本来の人間としての生存の道を探求すべき時です。

一部のスポーツエリートと、それを利用して国民の血税を搾り取ろうとする大企業、マスメディア、官僚たちのために、国の莫大な予算を費消するなどということは、例え、コロナ禍が無かったとしても到底許されるべきことではありません。

エセ平和主義、平等主義が虚飾されたオリンピックという反人民的イベントは、今こそ廃止すべきです。

何が何でも、東京オリンピック・パラリンピックの中止、断念を希求しましょう。

以 上

 

 

小沢一郎議員を支援する会 

代表世話人 伊 東   章

 

1/30シンポ 動画 公開(小沢先生、森先生)

1/30シンポジウム「現在の日本政治の混迷を打開し、真の民主主義を実現するためには、何をすべきか?」~更新~ (小沢一郎議員を支援する会より)

 

小沢先生、森先生の動画をUPしました。

 

小沢一郎衆議院議員 挨拶

https://youtu.be/_Vi8lWi6nhE

 

森ゆうこ参議院議員 講演

https://youtu.be/LOsu3Ez6oP4

 

 

1/30シンポ 報告

  • 2021/02/20 10:53
  • カテゴリー:報告

2021(令和3)年1月30日シンポジウム

「現在の日本政治の混迷を打開し、真の民主主義を実現するために、何をすべきか?」のご報告

 

1、当日のご報告と御礼 

  厳寒の本年1月30日(土)、豊島区民センター7階大会議室において、当会のシンポジウムが3年ぶりに開催されました。

昨年春以来、終息の気配を見せないコロナ禍の中、従来のような会場集合型のシンポジウム開催が困難なため、極く一部の会場参加と他はZoom会議方式でのシンポジウムとなりました。

当会としては初のZoom会議方式でのシンポジウムのため、多々不都合があり、参加者の皆様に大変ご迷惑をお掛けしてしまいましたことを、ここで改めてお詫び申し上げます。

とはいえ、当日の参加者は以下のとおりで、コロナ禍の中でのシンポジウムとしては、上々の出来であったと安堵しております。

会場参加           15名

Zoom参加         72名

他に、岩上安身さんの運営される「IWJ」が当日、シンポジウムを取材の上、ツイキャスで配信して下さいました。

この視聴者が当日300名以上あったとのことです。

当日は白井 聡先生のご講演の外に、小沢一郎議員のメッセージ参加を初め、多数の現役国会議員や山崎行太郎先生などの参加を頂き、大変貴重なご意見を拝聴することができました。

講師の方、参加者の皆様全員に、この場を借りて深く感謝致します。

コロナ禍がいつ終息するか判らない状況の中で、これからも、こうした形式でのシンポジウムを開催する必要があると思います。

その節は、今回の経験を生かして、より充実したものをお届けしたいと思います。

今後も引き続きご支援、ご協力をお寄せ下さるようお願い致します。

以下、当日の講演の内容を順次ご紹介します。

 

2、講演の内容(要 旨)  

 (1) 白井 聡 先生(京都精華女子大学准教授)

  ① 日本政治の現状、統治の崩壊

    コロナ禍の対応をめぐる政権の無能、無方策。

    何ら開催の必要性もなく、開催条件もない東京オリンピックの開催に突き進む危険性。

    安倍政権の8年間で常態化した政治の腐敗。

  ② 2009年の政権交代の失敗と2012年体制の成立

    55年体制の失敗を克服し、日本に政権交代可能な二大政党制の確立を目指して、2009年民主党政権が成立した。

しかし、民主党政権は、新自由主義か社民主義か、対米従属か対米自立か、について思想的に混迷し、官僚との無駄な対立、小沢一郎潰しに熱中の挙げ句自壊してしまい、その後安倍一強体制を許し、二大政党制確立は夢となってしまった。

  ③ 現状打開のための現状認識

    日本は、1945年の敗戦によって、それまでの天皇制から対米従属へと国体を変更した。

明治維新から終戦まで続いた天皇制国体は、1945年の終戦で一度死に、1945年からの対米従属国体は対米自立によって再度死ぬべき運命にある。

アメリカでトランプが代表する共和党政治が終りを告げたのと符合して、日本では自民党的政権が終焉すべき時にきている。

  ④ 日本の新しい政治の根本原理

    そもそも「国家のために国民がある」のではなく、「国民のために国家がある」という国民主権の原理を国民すべてが認識すべきである。

天皇制国家観であった「天皇は国民の父、国民は天皇の子」という家族国家観を排し、人間としての主体性を認知し、これを発現するような国家観、社会観を持つ必要がある。

そして、天皇(又は権力者)に近い者が利益を得る、という「権力への近さ」を中心とする政治ではなく、「公正性」を重んじる社会を目指すべきである。

  ⑤ 何をすべきか

課題は多々あるとしても、先ずは国民の知的、道徳的劣化とここから来る意気消沈から脱却するために、国のあり方、社会の築き方についての基本的原理を国民に示すとともに、政治の公正性と透明性を強くアピールする必要がある。

その上で具体的な課題として少子化問題、環境政策=産業政策、地方衰退、社会的分断(ネトウヨの治療)等を掲げるとともに、根本的な行政改革、民主化(司法、警察、公務員人事、特別会計、情報公開、大臣のスペシャリスト化、等々)を掲げるべきである。

  ⑥ 具体的な戦術 

兎にも角にも、先ずは次回の総選挙においてなんとしても勝利することである。

そのためには、現職議員を初め、すべての候補者が相当の覚悟を持って闘う必要がある。

その場合、立憲民主党などは身体の毛細血管ともいうべき地方組織の弱い者が多いので、そうした組織を早急に作り上げることと、地方組織を持つ共産党ともしっかり共闘体制を作る必要がある。

そして政権獲得後には、先ず改革の一丁目一番地であるコロナ対策をきちんと行ない、更には安倍晋三とその取り巻き連中の不法行為をしっかり訴追、投獄し、辺野古基地の建設を即時にストップすることである。

その場合に改めて敵対、抵抗するであろう敵のプロバガンダ機関や反動勢力を早期に破壊することが、2009年政権の轍を踏まないためにも必要である。

  ⑦ 今度こそ失敗はできない 

万一、再度失敗を犯せば、最早、日本の民主主義は二度と立ち直れないであろう。 

 (2) 小沢一郎議員のメッセージ

今年こそ決戦の年、即ち政権交代、政権奪還の年である。

大きな目標に向って心身ともに快調であり、充実した決意を持って過している。

安部元総理も菅総理も国民の生活を顧みない自分勝手で、自分達に都合の良い政治をしてきているが、このようなことを許してはならない。

今やコロナ禍で世界も日本も大変な状況であるが、日本の政府は、緊急事態宣言を出すなど、場当たり的なことしかやっていないため、コロナ禍は収まる気配がない。

私が1年前から言っているように、すべての国民にPCR検査を受けて貰い、陽性の者だけを隔離し、陰性の者は通常の生活をすれば何ら問題はない。

今からでもそれは十分できることである。

ところが、政権、内閣の中には利権のためにPCR検査をやりたがらない者がいる。

そのため、日本の検査数は世界で最も少ない水準になっている。

そのように今の日本は陰湿でドンドン悪い方向に向っている。

これだけ、自公、政府が悪いことをしている状態を変えるためには、なんとしても今度の選挙で政権交代を果さないといけない。

我が党(立憲民主党)も漸く一本化して国民の期待に応えられる状態になった。

次の総選挙まで1年もないが、4月には補充選挙もある。

これだけ自公が悪政を続けているので、本来ならば野党が圧勝しなくてはおかしい筈であるが、まだそこまで明確には見えていない。

我々が政権をとって「国民の生活が第一」の政治を担う決意を強く持つべきである。

民主主義の原点は選挙にある。

選挙に背を向ける人もいるが、国民は選挙によってしか主権を行使する方法はない。

選挙で勝てば、その後何年かは政権を担当できるのだから、安倍元総理がトンデモないことをやっても止める手立てはない。

だから、とに角国民の皆に選挙に行って貰うようお願いしないといけない。

2009年の総選挙では投票率70パーセントで(民主党が政権をとった)あったが、その後は20パーセントも減少して投票率50パーセントの状態である。

票にすると約2000万票が減少している。

この票が投票されれば、内7~8割は自公に批判的な票であるから、当然我々が勝利する。

従って、是非多くの人に声をかけて、選挙に行って投票するようお願いして欲しい。

私も政権交代に向けて一層頑張るので、皆さんの力強い支援をお願いしたい。

 

以 上

 

小沢一郎議員を支援する会     

代表世話人 伊  東     章

「女性ならばすべて民主的か」-森喜朗発言に寄せて-

「女性ならばすべて民主的か」-森喜朗発言に寄せて-

 

小沢一郎議員を支援する会 

代表世話人 伊 東   章

 

1、森喜朗東京オリ・パラ競技大会組織委員会会長(元総理大臣))が、女性蔑視発言をしたことが国の内外から批判されたことを契機として、会長を辞任することになった。

国民が長引くコロナ禍の中で極度の焦燥感を抱き、先行きの見えない不安に苛まれているところへ、こうした女性蔑視発言をしたことが、女性を中心としたジェンダー論者の標的となったものである。

肝心の森会長は辞意を表明する外なかったが、日本サッカー協会の元会長であり、早大の後輩である川渕三郎に会長職を譲り、その見返りに自身が相談役として残るとの密約をしたことが暴露され、結局川渕三郎も会長就任を辞退する、という漫画のようなオマケがついたのも笑える。

しかも、その茶番劇には、菅総理、安倍前総理、武藤敏郎オリ・パラ競技大会組織委員会事務総長(元大蔵事務次官)が出演していたというのも語るに落ちる。

その結果、新しい東京オリ・パラ競技大会組織委員会会長には、現東京オリ・パラ競技大会担当大臣の橋本聖子を当てようか、という流れが加速しているとうことである。

2、そもそも、女性蔑視とか性差別というものの本質とは一体何であろうか。

世界の歴史上、相当古くから人間の社会は男性中心であり、男性が社会のあらゆる領域において女性より上位に置かれ、女性は男性の支配下で生きることが当然とされてきた。

そのことは、主として人間が生きるために営む生産労働、対立する勢力との間で生じる戦争の担い手が、主として男性であったという社会的、経済的な事情に起因している。

反対に、女性にとっては後継者である子を産み、これを育てることが主たる役割となった結果、必然的に男性優位の社会が生まれ、発展してきた。

多くの先進国のように、男女を分たずに教育の機会均等が保証されるに至った現代では、男女性差によって人間の能力に差異が存在すると考えることは困難となってきた。

もしあるとすれば、肉体的な強弱の差が未だ存在するが、それは、長い歴史の中での肉体の使用方法における男女の差が、容易には埋まらない結果と言える。

社会の労働のあり方が変遷すれば、いずれ男性と女性の肉体的力の差は失われてゆく筈である。

つまり、現在依然として私達の目前で見ることのできる男女間の能力差というものは、長い歴史における男女の社会的役割の中で育まれたものであることが判る。

もしも、社会があらゆる分野において男性と同等に女性の進出を認めるようになれば、いずれ男女間の格差もすべて失われるべきものである。

3、民主主義というものの発生については、古代のギリシャとかローマの時代のことが語られ、その後下っては、イギリスのマグナカルタ(大憲章)(1215年)、権利の章典(1689年)、アメリカ独立宣言(1776年)、フランス人権宣言(1789年)が語られている。

しかし、この中で本格的に人間の平等、自由が謳われているのは、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言ぐらいで、それ以前の民主主義は、あくまでも貴族や平民など特定の身分の者にしか適用しない概念であった。

しかし、独立宣言にしろ、人権宣言にしろ、そこで語られている自由、平等は、主として男性の権利として語られており、女性の権利については殆ど枠の外に置かれている。

女性独自の権利について語られるのは、辛うじて人権宣言後、本格的には20世紀に入ってからである。

つまり、民主主義の歩みというものは、このようにカタツムリの歩みのようにノロイのである。

4、さて、翻って考えると、21世紀を既に5分の1経過した現在、世界を見渡して真の民主主義国家、社会が存在するであろうか。

答は絶対に否である。

真の民主主義というのは、単に万民が選挙権を有しているという程度のことではない。

経済的にも、政治的にも、社会的にも、文化的にも、あらゆる面で、一人一人の人間が、老若、男女、を問わず平等であり、自由であることである。

21世紀の現代社会は、その経済力と科学力においては、多分歴史上で最高のレベルに到達していると思うものの、民主主義の成熟という点では、古代のギリシャ、ローマ時代と質的には大差ない、と言うべきである。

人間差別の表れ方は、性別、身分、人種、貧富、教育、思想等々、あらゆる生活の側面において現出する。

男女差別というものは、その中の一つに過ぎない。

そして、すべての差別の根源は、主として経済力の差であると言っても過言ではない。

女性が男性と差別され、蔑視される、ということの意味は、貧乏人が富者に差別されたり、黒人が白人に差別されることと全く同質の問題である。

と言うことは、女性差別、女性蔑視に対して怒りを発する人々は、同じように貧富の差、人種差別に対しても怒らなくてはならない筈である。

女性差別、女性蔑視は、イコール経済力による差別や人種差別と同様、民主主義の否定から生まれているのである。

5、森喜朗の女性差別発言というものは、単に女性に対する差別だけではなく、すべての弱者、国民に対する差別であることを忘れてはならない。

森喜朗を支える菅総理、安倍前総理、そして元大蔵事務次官、日銀副総裁の武藤敏郎、橋本聖子東京オリ・パラ競技大会担当大臣、そして彼らの上部にある自民党は、すべて長年にわたる国民に対する簒奪者であり、差別者である。

橋本東京オリ・パラ競技大会担当大臣が女性だから女性差別をしないなどというのは幻想である。

彼女も又、森喜朗の差別発言を擁護してきたし、同じ党の杉田水脈衆議院議員も公然と女性蔑視発言を繰り返している。

つまり、真の民主主義を理解しない者は、老若男女を問わず、存在するのである。

私達は女性であれば女性差別をしない、などと甘い幻想を抱いてはならない。

女性差別問題は正しく真の民主主義をどのように考えるかの一つの試金石なのである。

国の権力を独占し、これを自分達のグループ内で樽回しをし、利権をムサボっている権力者を、その椅子から引きずり降ろさない限り、女性蔑視も不平等も不自由も貧困も無くならないことを銘記すべきである。

以 上

1/30シンポ 動画 公開

  • 2021/02/14 20:31
  • カテゴリー:報告

IWJさんのご理解とご協力により、YouTubeに公開されました。

 

シンポジウム「現在の日本政治の混迷を打開し、真の民主主義を実現するためには、何をすべきか?」

 

https://youtu.be/k-mA4-RRl-4

 

 

録画公開 <1/30シンポジウム>

IWJで、

1/30シンポジウム「現在の日本政治の混迷を打開し、真の民主主義を実現するためには、何をすべきか?」

の録画を公開してくれました。 しばらく有料になります。

(可能であれば、会員登録してください。)

 

京都精華大学専任講師・白井聡氏「コロナ禍で『この政府は本当は機能していない』ことが誰の目にも明らかになった!」~1.30シンポジウム「現在の日本政治の混迷を打開し、真の民主主義を実現するためには何をすべきか?」 2021.1.30
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/488303

 

よろしくお願いいたします。

1/30シンポ 大盛況でした! 有難うございます!

  • 2021/01/31 12:50
  • カテゴリー:報告
ご参加の先生、参加者、スタッフの皆様、
 
また、ツイキャスなどで視聴の皆様、
 
1/30シンポジウム「現在の日本政治の混迷を打開し、真の民主主義を実現するためには、何をすべきか?」にご講演、ご参加、ご協力頂き有難うございました。
 
こちらの手違いで、30分、開催が遅れましたことをお詫び申し上げます。
 
先生、参加者、スタッフを含めて・・・、
 
Zoom=72名、会場=13名、ツイキャス=300名以上
 
(ちなみに、山本太郎氏のツイキャスでも200人台だそうです。)
 
と言う事で、大盛況でありました。
 
ひとえに皆様のお陰です御礼申し上げます。
 
 
また、最初の徹底が悪く、一部にご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。
 
Zoomでは、参加者の方には、マイクのミュートをあらかじめお願いしておくべきでした。
 
チャットで、全員向けにお願いもしたのですが、チャットは見れなかったでしょうか?
 
「全員をミュート」と何度も使ってミュートしたのですが、最後は、参加者同士で会話をなされるような状況もありました。
 
会場などからは、演者の声が阻害されて、「どうなっているんだ!」と言った様なクレームもあり、
 
発言されている方には、「退室」をこちらでさせて頂きました。
 
意図的ではないと思いますが、端末側が勝手に外すのか?音声が聞こえなくて、マイクの方のミュートを外してしまうのか?
 
「手を挙げ」たり、チャットで質問も出来るのですが、対応いただけなかったものですから・・・・、
 
そして、予定時間を押していて、進行を止めることも出来ず、やむない状況でした。
 
今後、そのようなことがないようつとめて参りますので、今回はお許し下さい。
 
 
また、ツイキャスは、IWJが行ってくれました。
 
IWJは、独立系のネットメディアです。
 
 
圧力に屈することなく、忖度することなく、市民が必要とする情報を主に独自取材により、私たちに提供してくれます。
 
ツイッターデモなど、有効性が認められる部分も見受けられるようになりました。
 
ネットはより活用されていくのではないかと思います。
 
そのときに、誰かの意志にゆがめられた情報だけが届くようでは、より良い未来は望めません。
 
IWJのような独立系のメディアを市民の手で存続させないとならないと思います。
 
その点では、皆様にもIWJを支えてもらいたいと思います。
 
ぜひ、ご入会やカンパをお願いします。 ・・・入会すると全ての情報が見れます。
 
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1/30シンポ 小沢一郎衆議院議員のビデオメッセージ

シンポジウム「現在の日本政治の混迷を打開し、真の民主主義を実現するためには、何をすべきか?」

に、小沢一郎衆議院議員のビデオメッセージが再生されます!

どうぞ、皆さん、ふるってお申込み下さい!

Zoomとなります。

申込先は、

minshushugi@minshushugi.net 

です。

 

IWJで中継されます!

1月30日シンポジウム「現在の日本政治の混迷を打開し、真の民主主義を実現するためには、何をすべきか?」

 

は、IWJ(インディペンデント・ウェッブ・ジャーナル)で、リアルタイム中継してくれるそうです。

 

https://twitcasting.tv/iwj_ch5

 

14時~17時 です。

 

IWJは、

http://iwj.co.jp/

スポンサーやどこかからの圧力にも屈せず、独立系のネットメディアです。

市民目線で、忖度しない情報を届けてくれます。

ぜひ、会員になってください!

https://iwj.co.jp/ec/entry/kiyaku.php

また、カンパもしてください!

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